苦しみの中での賛歌
(ヨブ1章)
主が与え、主が取られたのだ。主の御名はほむべきかな。 (ヨブ1章21節)
ヨブは苦難の中で神を見上げ、神を待ち望んだ人です。ある意味、ヨブが待ち望んだ救い主がイエスにおいて実現したと言っていいでしょう。
1 神の前に謙虚さ−ヨブの謙虚さ
ヨブはお金持ちでした。財産がたくさんあると、財産に溺れたり、また財産に信頼したり、神に頼ることが難しくなるのです。けれども、ヨブは違いました。ヨブは多くの財産も人々も、決して自分のものではないことを知っていたのです。だからすべてがなくなっても言うことができた。目に見えるものはみな神さまが与えてくださったものだ。私たちは何ももたないで生まれてきた。つまり、他のものはみんな神さまから与えられたものなのです。
2 神への信頼−ものには頼らない
確かにヨブは多くのものを持っていました。でも、それは過ぎ去るもの。私たちが生涯を終えるときには全部置いていかないといけません。
ヨブは一日の内に、すべてのものを失いました。けれども、そこでヨブは言いました。ついてない。何てこった。というのではなく、そのとんでもない事柄の背後に、自分の救い主であられる主がおられる。このとんでもない悲劇、悲劇以外の何者でもないことがらの背後にも主がおられる。今、どんなに苦しい、とんでもない状況の中にあっても、主がいてくださる。主はへたなことはなさらないのです。
3 神への畏れ−−−いたずらに
ヨブは神を恐れる人でした。どんなに自分が豊かになり、ちやほやされ、権力を握るようになっても、神を恐れ続けた。調子のいいときにも悪いときにも、順境の時にも逆境の時にも・・・。悪魔はヨブについてこう言いました。これはヨブ記の鍵になる言葉でもあるのですが、「ヨブは『いたずらに』神を恐れましょうか」。サタンの発想はこうだったのです。これだけ御利益をてんこ盛りにしたら当然誰だって信じるんじゃないですか?
でもヨブはこの最悪の状況の中でも神に向かって愚かなことは言わなかった。「もう信じない!」などと言って、罪を犯すこともなかった。これだけ得だからではない。神が神であられることのゆえに、神を神として恐れていく。ヨブの口から出たのは、主の御名はほむべきかなという賛歌でした。
主の前にへりくだり、主を畏れ、主に信頼する者たちでありたい。そして主はそのことを私たちの生涯の上にもしてくださるのです。
(2007.11/25)