神を見つめて歩もう
(創世記17章1節)
アブラムの九十九歳の時、主はアブラムに現れて言われた、「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ」 (創世記17章1節)
これは、神がアブラム(アブラハム)に現れて言われた言葉です。ここに至る背景として、神はアブラムを選んで召してカナンの地へ導いて、素晴らしい土地と子孫を与えると約束されました。しかし、待てど暮らせど彼には子どもが生まれず、年を取って焦りの気持ちがある中、妻の言うままにハガルによって子を設けました。しかしそれは、神の御心ではありませんでした。その結果、13年間神からの親しい語りかけを聞くことが出来ませんでした。
神の前に歩むとは、神の先に立つのではなく、神に顔を向けて、顔と顔を合わせていくことです。 あなたは誰と顔を合わせていますか。テレビ、携帯、仕事など私たちは、愛しているものに向き合うものです。自分が求め、魅力を感じるものに私たちは目を向け、心を向けます。
私たちは、神をどれくらい見つめて顔と顔を合わせて歩んでいるでしょうか。本当は人間は神と顔を合わせずに避けて生きていきたいのです。最初の人間アダムとエバは、最初は神と顔を合わせて愛のうちに生きていたのですが、神との約束を破り、神に罪を犯して神を避けて真直ぐに見ることの出来ない者になりました。
そして、神の前に出ると叱られ、裁かれる恐れを懐くようになりました。そのようにして人は、神から離れました。神に罪を明らかにされるのを恐れて隠れ逃げて、人は神の前に出ることが出来なくなりました。
神との関係において全き者とは、神との愛の関係に生きる人のことです。自分の力ではなく、神の全能の御業、御力によって歩むことです。主の十字架の贖いのゆえに私たちの罪は赦され、義なる者、聖なる者とされて神の前に立つことが出来、神の顔を合わせることができます。神との愛の関係に生きて、全き者とされます。
全き者とされた人は、どんなに大きな祝福に与ることでしょうか。神の前に歩む者は、心は楽しみ、魂は喜び身もまた安らかであるという、素晴らしい祝福があるのです。神は、私たちを素晴らしい人生、救いに招いていて下さいます。問題や苦しい辛いことがあり、神から目がそれて心が離れそうな時にこそ神の前に歩み、愛の関係に生かしていただきましょう。自分の力を頼まず、全能の神の恵みと憐みにより頼んで神の愛に応えて歩みましょう。
(2007.10/28 松本 順師)