柔和の実を結ぶ
  
      (マタイ11章28〜30)

わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 (マタイ11章 29節)

 聖書の中には柔和な人として名前を挙げられている人が二人います。一人はモーセ、もう一人はイエス・キリストです。モーセはイスラエルの民を率いて、エジプトを出立し、四〇年にわたって、イスラエルの民を導いた人物です。聖書は「モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた」と言います(民12:3)。

イエスもまた柔和な方でした。イエスは神の子なのに人の姿をとってこの世に来られました。人を救うためです。もっと感謝され、もっと敬意を払ってもらっていい。でも、かえって人々はイエスにつばきし、イエスを十字架にかける。とんでもない。自分の威厳をもっと見せつけたらいい。けれどもイエスは柔和な人の幸いを語り、ご自身が柔和な者として生きて行かれ、私たちにも柔和な者であるように、と教えています。では神は私たちをどのように柔和な者としてくださるのでしょうか。

1 わたしのもとに来て休め

 私たちは様々な苦悩や不満にさらされていらいらします。行き詰まります。柔和になんてなっておれない。けれども、その重荷も苦労もそのまま背負ってイエスさまのところに行くのです。イエスさまはあなたに休みをくださいます。イエスは魂に休みを下さるのです。

2 わたしのくびきを負って学べ

 イエスさまは次にわたしのくびきを負いなさい、とおっしゃいます。イエスさまは心へりくだって柔和だから。くびきとは二頭の牛の首にかけて畑を耕す鍬を引かせるような道具です。くびきがぴったりしていないと、首が痛くなります。肩がこります。でもイエスさまのくびきは負いやすい、首にピッタリだ。そして横にイエスさまがいて共に荷を担ってくださる。イエスはおっしゃいます。私のくびきは負いやすく、私の荷は軽い。そしてイエスさまと歩調を合わせていく中で、私たちは柔和な者へとかえられていくのです。

 イエスさまはわたしに学びなさい、とおっしゃいました。イエスさまは私たちのために模範を示してくださいました。けれども、手本を示されたと言うだけでなく、私に学べとおっしゃるイエスさまは私たちがそのような歩みができるように助けてくださるのです。

(2007.9/23)