歳を重ねる喜び
  
      (イザヤ46章3〜4)

わたしはあなたがたの年老いるまで変わらず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う    (イザヤ46章4節)

1 神様の働きには定年はない

 キリスト者には定年がないということです。いくつになってもやることがある。アブラハムが約束の地に向かったのは75歳でしたし、モーセが神様の召命のお声を聞いたのは80歳でした。カレブは85歳になって、「主があの日、語られたこの山地を、どうか今、わたしにください」と求めました。神様が私たちを生かしていてくださる限り、私たちには担うべき働きがあるのです。

2 私たちは成長し続けていく

 聖書はこう言います。私たちは神様を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと種と同じ姿に変えられていく、これは霊なる主の働きによる。私たちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。どんなに元気な、若い人であっても疲れ果ててしまうことがあるだろう。倒れてしまうこともあるだろう。けれども、私たちが主を求め、主を待ち望み、主を見つめて生きていったら、私たちは鷲のように翼を張って登ることができる。走っても弱ることがなく、歩いても疲れることがない。毎日毎日、私たちは神様を新しく知っていく。全部分かってしまうことってない。だから歳を重ねるって楽しい。

3 神様は変わらずに私たちを担い続けてくださる

 でも歳を重ねるってつらいことも多い。元気で、何も痛かったり、弱かったりと言うところがなくて・・・ということだったらいいけれど、実際には私たちには多くの痛みがある。それに歳を重ねると知らなくていいこと、経験したくなかった多くの悲しみや心の痛みをも担うことになる。でもだから歳をとるってすばらしい。最初のうちは、元気なうちは自分は神様のためにあれもできるこれもできると思っている。言ってみれば、神様だって、私が助けてあげますよ、くらい言いかねない。でも、歳を重ねていく中で、神様に実は負われているって言うことを素直に認められるようになっていく、私を負ってくれなくてもいい、私があなたを負ってるのだから、あなたが生まれ出たときからずっと私があなたを負ってきたのだから。

 様々な苦難や痛みを経験することもあるでしょう。けれども、そこでしか経験できない神様の恵みがあるのです。 

(2007.9/16)