忠実さに徹する
  
      (Tコリント4章1〜21)

このようなわけだから、人はわたしたちを、キリストに仕える者、神の奥義を管理している者と見るがよい。この場合、管理者に要求されているのは、忠実であることである。  (Tコリント4章1〜2節)

 神様は私たちに忠実であることを求めておられます。

1 神の奥義の管理人としての召し

 パウロだけではありません。神は私たち一人一人にこの奥義を明らかにしていてくださいます。奥義とは何でしょうか。パウロはこの一章二章に書いているのですが、十字架につけられたキリスト、そのキリストによる救いなのです。イエスを信じる者は、イエスが私たちの身代わりに十字架について死んでくださったゆえに救われるという、その福音のことです。私たちはこのすばらしい奥義をゆだねられているのです。

2 奥義に忠実であることとは

@人が見ているときだけではなく、見ていないときにも・・・忠実な人は人が誰も見ていないときに、まただれもほめてくれないようなそう言うときにも、隠れたところで真実に生きていくのです。隠されていることも必ずあらわにされるからです。

A楽しいこと・好きなことだけでなく苦難をも・・・忠実であると言うことは決して楽なことではありません。卑しめられたり、苦労したり、辱められたり、迫害されたり、ののしられたり、まるで人間のくずのように扱われることもあるかもしれません。その中にあって祝福し、耐え忍び、優しい言葉をかけていく。まさに、それはイエス様の姿です。

B大きなことだけではなく、小さなことに・・・パウロは「キリスト・イエスにおける私の生活の仕方」と言いました。忠実であると言うことは、単に日曜日に休まないとか、献金をするとか、そのようなことだけではないのです。私たちの毎日の生活の仕方に関わっていくものなのです。私たちの生活のどこを切っても、イエスさまのお姿が見えてくるようなそのような生き方なのです。

C聞かせるだけでなく、見せる・・・皆さんがどうか自分の見本になるような存在を見いだして欲しいと思います。忠実な生き方はまねるところからはじまるからです。そしてもう一つ、皆さん一人一人が誰かの見本になってほしい。パウロはテモテの手本になり、テモテもコリント教会の見本になりました。そのようにして人々を育てていったのです。忠実な生き方とは、神様に知らされた奥義を人々に伝え、人々に関わり、人々の成長を祈り、人々に仕えていくことなのです。

(2007.9/2)