寛容な人になれ
  
      (コロサイ312〜17)

互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい    (コロサイ3章13節)

今日のテキストは「だから」という言葉で始まります。私たちはこの世にどっぷりつかり、神の怒りの元にあったのが、今は新しくされた、だから、なのです。パウロはそのことをこのように言い直します。「あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから」。今日は特に、このところでも最後に取り上げられ、13節にも続いていく、寛容と言うことを取り上げます。

私たちの寛容さに対する挑戦

私たちは寛容であることの大切さを頭では理解していますが、実際には私たちの寛容さを試すような働きが私たちの周りには数多くあります。

@自分の計画が崩されること・・・私たちは自分なりに計画を持っています。けれども人と関わっていくと言うことは、自分の計画をどこかで修正しなければならないということでもあります。邪魔をされたり、自分の計画を中断させられたり、想像以上に待たされたりすると、そこで私たちの寛容は試されるのです。

A自分の思い通りに人が動いてくれないこと・・・@とも関わりをもっているのですが、私たちは人々に対しても期待を持っています。そして、その期待は往々にして打ち砕かれるのです。

B悪いことが続くこと・・・わたしたちは多少は@やAも耐えられるのでしょう。けれども、それが続いていくと、やがて堪忍袋の緒が切れるということになるのです。

寛容になる秘訣

@主が私をゆるしていてくださることを思い起こす・・・私たちは誰かをゆるすとか赦さないとか言う前に、主が私たちをゆるしてくださったことを思い起こしたいと思います。

Aキリストの平和に身をゆだねる・・・御霊の実は九つがバラバラではありません。「平和」の結ぶところに「寛容」も結ばれるのです。

Bキリストの言を心に宿らせる・・・キリストの言に身をゆだね、いつもその御言に親しむことです。

C感謝する・・・この短い数節に「感謝」と言う言葉が3度、繰り返されます。感謝することを忘れてはいけません。感謝することがいつでも先にいくようにしたいと思います。

主はそのような私たちに御霊によって「寛容」の実を結ばせてくださるのです。

(2007.8/12)