神の望まれる教会
  
      (Tコリント12章12〜27節)

もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。    (Tコリント12章26,27節)

神の望まれる教会は、

第一に主と交わりのある教会です。「彼(キリスト)を万物の上にかしらとして教会に与えられた。この教会はキリストの体であって、・・・」(エペソ1:22、23)とあり、「私たちはキリストの体であり、一人びとりはその肢体である」(Iコリ12:27)とあります。

聖書の多くの個所で、このイエスと私たちの関係を体と肢体ということで書かれています。イエスは体なる教会のかしらです。私たちはその肢体としてイエスにしっかりと結び付けられている必要があります。十字架の縦の関係を保つ必要があります。日曜日に主イエスを礼拝するために集まって来て主と交わりを持ちます。みんなで一緒に礼拝をすることは、主が望まれることです。なんとなく主に繋がっているのではなく、私たち一人びとりが神と一体となることを主は望んでおられます。私たちは、神と一対一になる時間を持つと神から新しい力を頂きます。朝にあるいは夜に聖書を一章でも読み、祈りの時間を持つようにしてクリスチャン生活を続けていきましょう。私たちが神と個人的に交わりを持つことを主は望んでおられます。

第二に、主にある交わりのある教会です。これは十字架の横の関係です。私たち教会員同士がお互いの交わりを持つことを主は望んでおられます。一つの体には多くの肢体があり、それらがみな同じ働きをしていないように、私たち一人びとりはみな必要とされています。主は、一人一人がそのような与えられたタラント(賜物)を生かして一体となって主の御奉仕をすることを望んでおられます。積極的な人だけが神様に用いられるのではなく、神様は弱い人をも用いられることが良く分かると思います。私たちは体の一つが欠けても不自由します。主は私たちそれぞれに素晴らしい賜物を与えておられ、私たちが一つとなって教会のためにご奉仕すること、共にいたわり合うことを望んでおらます。教会員の一人が痛めば痛みを感じ、喜びを分かち合いたいものです。

三番目に生きた教会です。私たちの体に血が流れて生かされているように主の御霊に生かされて生きる教会となり、信仰を確かにされ、御言を宣べ伝え、主を証していきましょう。

(2007.8/5 エノプレ悦子師