わたしの平安をあげよう
  
     (ヨハネ14章18〜27)

わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。    (ヨハネ14章27節)

 神は私たちの性格やそのおかれている状況を越えて、上からご自身の平安を与えてくださいます。

 弟子たちは「心騒ぐ状況」にありました。時は十字架の前夜でした。弟子たちも、イエスのことをエルサレムの指導者達が何とか陥れようとする不穏な空気に気づいていたでしょう。不安です。とても不安です。けれどもそのような状況の中でイエスは「平安」とおっしゃいます。

 イエスが特別に問題や試練に会わなかったか、苦しい・つらい・悲しい経験を何もしなかったということではありません。イエスも厳しい状況を何度も通過されました。けれども、イエスの中にはいつも平安がありました。イエスのおっしゃる「わたしの平安」とはどのようなものだったのでしょうか。

@それは父なる神に対する信頼でした。ですからイエスも私たちに呼びかけられるのです。「神を信じ、また私を信じなさい」。神はあなたの生涯を無駄にはなさらない。神はあなたの生涯を滅茶苦茶にはなさらない。

Aまた父なる神が共にいてくださるという安心感でした。「私はあなたを捨てない」「私はあなたをひとりぼっちにしない」。確かにあなたがたは私を見なくなるかもしれないけれど、私は生きている。そして、私が肉体をもってあなたがたのそばにいないとしても、聖霊があなたと共にいて下さる。

Bそれは御言が心にとどまっているというところから来る平安でした。みなさん、私たちに平安を与えるのは神様の御言です。変わらない、信頼に価する神が、あなたに語られる、その御言を思い起こすときに神の平安が私たちの心に帰ってくるのです。

 イエスは、そのような平安を私たちに下さるというのです。イエスは私たちのために十字架にかかり、私たちのために平和を作ってくださいました。私たちはもうさばかれることはありません。イエスが私たちの罪を負ってすでに死んでくださったからです。

 ですから、私たちは心が騒がないように、呼吸法をどうにかするとか、くよくよしないようにするとかそういうことではありません。イエスが与えてくださる平安をありがとうございますといただくのです。イエスがあげようとおっしゃるからです。

(2007.7/22)