隣人を愛するということ
(ルカ10章25〜37節)
「この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。 (ルカ10章36,37節)
神さまは愛なるお方です。そして私たちにも愛を求められます。ここでは、あなたの隣人を愛しなさいとおっしゃるのです。
1 あなたの隣り人
@あなたのとなりにいる人・・・そこに横たわって助けを必要としている人がいました。隣り人というのはまさに、あなたのすぐそばにいる人なのです。
Aあなたが隣り人・・・ここでイエスさまは「誰れがこの傷だらけの男の隣り人になったか」と問いかけられます。誰を愛すればいいのか、ということではないのです。あなたが隣り人になるのです。
2 隣り人として生きると言うこと
それでは隣り人として生きるとはどういうことなのでしょうか。
@言い訳をしない・・・忙しかった、この人は助からないと思った、この人に関わっていたら自分もやられてしまうかもしれない・・・彼を助けない理由はいくらでもあったに違いありません。けれども、愛は言い訳を作りません。
A具体的なこと・・・それはとても具体的なことです。気の毒に思うだけではありません。その人に近寄ることです。それはその人の必要を見ながら、一つ一つのことを行っていくとても具体的なことなのです。
B犠牲を払うと言うこと・・・このサマリヤ人は多くの犠牲をこの人のために払いました。オリブ油・ぶどう酒・ろばに載せて自分はおそらく歩き、時間を払い、お金を払う・・・ただただ犠牲を払うのです。
C自分を愛するように・・・ある意味、私たちはみんな自分が大事です。でも、それと同じほど、その隣り人を愛するのです。(私は自分を愛することができないとおっしゃるでしょうか。どうか、あなたが愛されている存在であることをまず知ってください。)
Dあなたが一歩を踏み出すこと・・・イエスさまはここで、結論のように「あなたも行って」とおっしゃいました。あなたが一歩、その人に駆け寄って、愛を必要としている人の隣り人になってほしいのです。
なぜなら、イエスさまご自身が誰よりも、まず、倒れて、誰からも見捨てられて、そこで息も絶え絶えで、もう死んでいくしか、滅んでいくしかない、そんな私の隣り人になってくださったからです。
(2007.7/1)