愛を貫くということ
(マタイ5章43〜48節)
わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。 (マタイ5章44節)
イエスはこのようにおっしゃいました。「敵を愛しなさい」。ちょっと待ってください。敵を愛するっていうのはすばらしいように聞こえますが、実際の所は難しいものです。
1 敵がいるという現実
あなたが幸せになることをねたんだり、うまくいくことを喜ばない人はいるものです。自分が正しいことをしているのに、ねたまれたり、迫害されたり、いじめられるというようなことはあるものなのです。また、神を信じて生きると言うことはある意味、異質であるがゆえに、どうしてもキリスト者として誠実に生きようとすると、排除しようとする力が働くのです。
2 敵を愛するということ
愛するとはこの場合どういうことでしょうか。
@恵みを注ぐ・・・その人のためになることをしてあげる。温かい太陽のように、豊かな恵みの雨のように、接していく。敵が来ても無視しない。あいさつをする。その人の心が解けて、やわらかくなるように、仕えていくのです。
A犠牲を払う・・・私たちは自分が損することを許せないのです。けれども、敵を愛すると言うことは、喜んで損をし、犠牲を払うことなのです。
Bその人のために祈る・・・自分の敵、自分を迫害する人のために祈るのです。
3 あなたも神の子だから
なぜ、私たちはこのような生き方をするのでしょうか。なぜなら私たちも完全で恵み深い、天の父の子だからです。その私たちの敵である○○さんもまた、神に造られた神に愛されている人なのです。
そして神さまは私たちが敵を愛するときに、神さまは報いてくださるのです。私たちの愛の業が忘れられることはありません。
けれども、もっと大切なことがあります。それは私たちもかつては神の敵だったということです。けれども、イエスはそんな私たちに恵みを注ぎ、私たちのために大きな犠牲を払い、敵であった私たちのために祈ってくださいました。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか分からずにいるのです」。私たちの意地では、おそらくそんな愛は出てきません。私たちを愛してくださった完全な主が私たちの内にいてくださって、私たちにそのような生き方をさせてくださるのです。
(2007.6/24)