御霊の実を結ぶ人になりたい
  
      (ガラテヤ5章1626)

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。  (ガラテヤ5章2223

今年は豊かに実を結ぶ教会というテーマで歩んでいます。それでは私たちが結ぶ実とは何でしょうか。その一つが、このガラテヤの五章に出てきます御霊の実なのです。

 ガラテヤの教会はパウロが開拓した教会でした。ところが、パウロが次の町へと去った後、ユダヤ人たちが来て、キリストを信じるだけでは救われない。律法を守り、特に割礼を受けることが必要だと言い出したのです。そして、教会の中に分裂・分派が起き、いがみ合ったり、憎しみ合ったりし始めていた・・・それがガラテヤ教会の現状でした。

1 肉の結ぶ実

 律法自体は悪いものではありません。悪いのはまるで自分でがんばれば律法の達人になれて、そうすれば自分の力で天国にいけるという、そのような誤解だったのです。パウロはそれを肉と呼びます。自分中心・人間中心の考え方・生き方のことです。パウロは言います。肉は何を生み出すか? それは不品行・汚れ・好色といった性の乱れ・・・これは家庭を破壊していきます。そして神との関係を破壊する、偶像礼拝、まじないといった神以外のものを礼拝しすがろうとする罪、教会の交わりと人間関係を破壊する、敵意・争い・そねみ・怒り・党派心・分裂・分派といった人間関係の中でのもつれ、自分自身を破壊する泥酔・宴楽といったもの・・・パウロは言うのです。自分の肉、自分がやってやるというがんばりだけで立ち上がっていくとしたら、私たちは失望するか、または、人と比較して自己満足に陥り、高慢になって、他者を見下げてしまうのです。

2 御霊の実

 パウロは言います。しかし、御霊の実は違う。神との関係において愛・喜び・平和がその人の人となりとなり、人との関係において寛容・慈愛・善意といったものが私たちと他者とを結びつけ、自分との関係において忠実・柔和・自制といったものをもって自分に与えられた使命を全うしていくのです。それは私たちの内に住んでくださる聖霊が私たちの内にしてくださることなのです。決して、がんばってそのことをしなさいとか、しましょうとかいうのではないのです。私たちの内に住んでくださる聖霊が私たちのためにそのことをしてくださる、私たちを造りかえ、このような麗しい実を私たちに結ばせてくださるのです。

(2007.6/3)