私の名によって求めよ
  
      (ヨハネ15章 16〜17節)

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。  (ヨハネ15章16節
 イエスの選びには目的がありました。それは私たちを立て、私たちが行って実を結び、その実がいつまでも残るためでした。けれども、イエスはそれだけにとどまらず、もうひとつのことをおっしゃいました。神が私たちを選んでくださったのは、私たちが主イエスの名によって求めるものは、父が与えてくださるためなのです。

1 父に求めよ

 イエスは神のことを父と呼ばれました。まさにイエスは神のひとり子だったのです。そして、イエスはこの地上の歩みの間も、いつも父なる神に祈りつつ歩んでおられました。父との親しい交わりの中に歩んでおられたのです。そして祈ることなしに何事もなさいませんでした。
知ってください。神さまはそのような交わりの中に私たちを招いていてくださいます。私たちの選び、それは祈りへの召しなのです。

2 わたしの名を用いて求めよ

 イエスは、選んだ者たちに、ご自身の名をゆだねてくださいました。私たちは本来神に近づくことの許されない者です。けれども、イエスは「私の名を出していいから」とおっしゃいます。他の誰かの名前を出しても、頼りないかもしれません。けれども、子どもの名というのは一番です。親は必ず、耳を傾けます。
 私たちはこのイエスの名を信じて救われ、この名によって歩みます。そして私たちはこの名によって祈ることをゆるされているのです。

3 何でも与えてくださる

 私たちの祈りは結果をもたらします。祈って何も変わらないと言うことはありません。逆にいうと、祈らなければ何も変わらない。祈らなくても何とかなると私たちが思うとしたら、それはとても悲しいことです。
 イエスはおっしゃいました。祈って、イエスの名によって求めることは必ず起こっていく。祈ったのに何も起こらないことなどあり得ない。父は与えてくださる。私たちはそのような力のある、私たちのことを愛し、心配してくださっている神と出会って、喜びにあふれるのです。

私たちは選ばれました。祈るため、祈りが答えられるためなのです。

(2007.5/13)