実を豊かに結ぶ生涯
(ヨハネ15章 1〜11節)
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 (ヨハネ15章5節)
私たちはこの新しい年度「豊かに実を結ぶ教会」というテーマで歩んでいきたいと願っています。私たちは実を結びたいのです。そしてそれは神が私たちに願っておられること、神が私たちに約束していてくださることでもあるのです。
1 農夫なる神
ぶどうの木を植えるのは神ご自身なのです。神が御計画をもってぶどうの木を植え、手入れをしてくださる。土を耕し、肥料をやり、水をやり、太陽の光を注いでくださる。どのように世話をしたらいいのかよく知っていて、刈り込みをしたり、手入れをして、実を結ぶようにしてくださる。ぶどうの木が野ブドウになるか、おいしい良質のぶどうになるかは手入れ次第だと言います。けれどもこの農夫なる神さまは、豊かな実りを得るための天才、ぶどう名人、これ以上ないベテランの農夫なのです。
2 まことのぶどうの木なるイエス
実はイスラエルは神が植えられたぶどうの木でした。神さまは十分手入れをして、収穫を楽しみにしておられました。ところがイスラエルはとんでもないまずいぶどうしか結ばなかった。結んだのは野ブドウだった。そんなことがあり得るか?と神さまはイスラエルに問いかけられるのです。イスラエルの民は神を拒み、神が期待されたのとは全く違う実を結んでいったのです。
けれども、イエスはまるでイスラエルができなかったことをするためでもあるかのようにこの世に来てくださって、イスラエルの民ができなかった神に信頼する道を全うされました。そしておっしゃるのです。わたしこそがまことのぶどうの木。
3 枝である私たち
そしてイエスは私たちにおっしゃいます。あなたがたはその枝だ。わたしにつながっていなさい。私たちには何の力もなくて、イエスさまから離れてしまったら何にもできないのですが、イエスさまにつながったら実を結ぶのです。
ではイエスさまにつながるとはどういうことでしょうか。イエスさまの愛を受け止め、その御言にとどまり、教会につながって、互いに愛し合うことです。その時に神さまは私たちに豊かな実を結ばせてくださるのです。
(2007.4/22)