もう泣かなくていい
(マタイ5章4節)
悲しんでいる人たちは、さいわいである。彼らは慰められるであろう。 (マタイ5章4節)
ある時、イエスさまはおっしゃいました。悲しんでいる人たちはさいわいだ。幸いとは、神さまに愛してくださっている、恵んでいてくださる、神さまに祝福されているという意味です。でも私たちは思います。悲しい時には、神さまが近くにいないような感じがします。神さまが全然、私のこと考えてくれていないように感じます。でも違うのです。神さまに見捨てられてるように感じることもあるかもしれません。でも違うのです。
ナインという町がありました。イエスさまがその町においでになった時、その町に泣いている女の人がいました。この女の人の大事な大事な息子が亡くなったんです。この女の人には悲しいことがたくさんありました。このお葬式の何年か前にも、ご主人が死んで、そして、でも、息子とがんばってきたのです。町中の人が一緒に泣いてくれました。でもいくら泣いても泣いても、どこから出てくるのかしらと思うほどに涙が出てきました。
イエスさまもこのお母さんを見てかわいそうだと思われました。イエスさまはそのお母さんに近づいておっしゃいました。「泣かないでいなさい」。でもこれが泣かないでいられるでしょうか。「泣かないでいなさい」。そしてイエスさまはその死んでいた息子に声をかけました。「若者よ、さあ、起きなさい」。するとどうでしょう。死んでいた息子が起きあがってしゃべり出しました。みんなびっくりです。お母さんはうれしくて、うれしくてまた泣いてしまいました。
私たちにも悲しいことがたくさんあります。でもイエスさまは私たちに近づいて、「泣かないで」と声をかけてくださいます。悲しんでいる人たちは幸いだと言えるのはイエスさまだけです。
イエスさまが十字架で死なれた時にもみんなが泣きました。悲しくて悲しくて泣きました。でも三日目、もう泣かなくて良くなったのです。イエスさまは死を打ち破ってよみがえってくださったからです。そしてそのイエスさまが私たちのそばにきておっしゃいます。「泣かないで、あなたは祝福されているんだから。あなたは愛されているのだから。私はよみがえったんだから。私は死も悪魔の力もどんな悲しみもひっくりかえすことができるのだから」。
(2007.4/8)