神からの預かりもの
(ルカ 19章 11 〜 27 節)
あなたがたに言うが、おおよそ持っている人には、なお与えられ、持っていない人からは、持っているものまでも取り上げられるであろう。 (ルカ19章26節)
イエスはますますエルサレムに近づいておられました。イエスはそのエルサレムで、十字架におかかりになることになっていました。ところが弟子たちはエルサレムが近づくにつれてイエスの思いとは全く違う期待を始めました。イエスがエルサレムに行かれたら、イエスはエルサレムで王様になって、新しい時代が訪れるという期待です。イエスはこれは弟子たちに分かるように言っておかないといけないと思われたのでしょう。ここにあるミナのたとえ話をされました。
T 主はやがて王としてこられる
ここでイエスがおっしゃりたかったのは、まだ自分は王になるのではないということでした。私はエルサレムに上ってそこで王になるのではなく、そこから旅に出る、つまり、まさに父なる神のところに行くのだ、だからまだ神の国は来ない。でもやがて王の王として帰ってくるときがくる。教会ではそれを「再臨」と呼びます。その時には私たちは王としてこのお方を迎え、主の前に立ち、神の前に申し開きをすることを求められるのです。
U 主は様々なものを私たちのためにゆだね、預けておられる
そして、神はそのような時代に生きる私たちに期待をしておられます。神は私たちに様々なものを預けておられます。私たちの才能、時間、体・・・形は違うかもしれませんが、神は私たちにいろいろなものを備えていてくださっています。いえ、言ってみれば、私たちの目に見えるものはみな神からあずけられたすばらしい財産なのです。
V 主は忠実な者に報いてくださる
神はわたしたちに多くのものをゆだねてくださっています。いえ、それは小さく見えるかもしれません。けれども大切なことはそれを使うことです。神はもっと豊かに祝福しよう、もっと多くのものを与えたいとねがっておられるからです。
ところが主を信用せず、主からあずかったものをかるがるしき扱う。主は、あずけたものをとりあげ、多くを持っている者にゆだねます。神は恵み深いお方ですから、どうか、神からゆだねられているものを用いて欲しい。神のために用いる人はさらに豊かな祝福を与えていただけるからです。
(2007.3/25)