わたしに何をしてほしいのか
(ルカ 18章 35 〜 43 節)
そこでイエスは立ちどまって、その者を連れて来るように、とお命じになった。彼が近づいたとき、「わたしに何をしてほしいのか」とおたずねになると、「主よ、見えるようになることです」と答えた。そこでイエスは言われた、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」。 (ルカ18章40-42節)
イエスはこの男に「私に何をしてほしいのか」と問われました。あなたは何を求めるでしょうか。イエスはあなたの生涯の中に、あなたも想像できないほど大きな祝福をもたらしたいと願っておられるのです。
1 焦点のあった求め
私たちがまず覚えなければならないことは誰に求めるかと言うことです。この盲人はイエスだと聞いて叫び出します。「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」。「ダビデの子」とはダビデの王位を継ぐお方という意味であり、それはイエスこそメシヤだという告白でもありました。
私たちの求めるべきお方はこの主です。そして、この主は私たちを裏切られることはありません。
2 切なる求め
先頭に立つ人は、彼を黙らせようとしました。けれども、彼はますます激しく叫び続けたのでした。彼は必死でした。私たちは神さまに恵みを求め、憐れみを求めるときにどれだけ真剣でしょうか。他の誰でもない、私が助けを必要としている!彼はだから大声で求めたのです。イエスはそんな彼の叫びを聞いて立ち止まられました。イエスはこの男を放っておくことはできませんでした。
3 信仰の伴う求め
イエスは彼にお尋ねになります。「私に何をしてほしいのか」。彼は答えます。「見えるようになることです」。そこには何の遠慮もありません。イエスはその答えを喜ばれました。そしておっしゃたのです。見えるようになれ、あなたの信仰があなたを救った。イエスには自分をいやし目が見えるようにすることがおできになると、何の疑いもなく思っていたのです。こんなことを言ったらイエスが困るのではないか、イエスでもこればかりは無理ではないか、そのようなおそれは彼の内には皆無です。
イエスは見えるようになれとおっしゃいます。イエスがそう語られたときに、その御言葉通りのことが彼の身に起きました。彼はたちまち見えるようになり、神をあがめながらイエスに着いていきました。もう彼は惨めではなかったのです。かわいそうでもなかったのです。神が自分を救ってくださったからです。
そして神は今日も求める者に同じように祝福を与えてくださいます。
(2007.3/4)