悲しみから抜け出す祈り
(詩篇 77 篇)
わたしは神にむかい声をあげて叫ぶ。わたしが神にむかって声をあげれば、神はわたしに聞かれる。 (詩篇77篇 1節)
この詩篇の作者の心のうちには様々な葛藤が見られます。彼の心の変化をもとに、悲しみから抜け出すということについて考えましょう。
1.祈りを聞かれる神に目を留める
1節『わたしは神にむかい声をあげて叫ぶ』。そして神に叫ぶと、神は彼に聞かれる、とあります。神は私たちの叫びに耳を聞かれ、必要を満たしてくださいます。それは神と私たちとの、とても正常な関係です。しかし神との関係が崩れる時があります。聖書はそれを罪といいます。私は何があっても大丈夫。自分の力で何でもできる。そんな人でも落ち込んだり、希望を見失います。人はそういう時に、つぶやき、他人や状況のせいにします。詩人も同様でした。しかしそれだけではなく、詩人はあることに気が付きます。10節『わたしの悲しみは、いと高き者の右の手が変ったこと』だというのです。
2.神の右の手は変らないことを知る
神の右の手。それは神の力を表わしますが、それは変わるのだろうか。いいえ、神の右の手は永遠に変わりません。変わってしまったら、神の愛は貫かれません。この詩人は、神の側ではなくて、神の御業、御言を、受け取る自分自身の態度や状況が変わったということに気付きました。恵みを恵みと思わず、憐れみを憐れみと思わず、頂いて当然の如くにふるまうように、自分が変わったことに気づきました。頑なだった心に、聖霊が働きかけて気づかせてくれたのでしょう。
3.神のみわざに期待する
詩人と同じように、神が私たちにしてくださったことを思いましょう。私たちは神に期待せず、自分で何とかしたり、神から離れようとする者。しかしそんな私たちの罪の身代わりとして主イエスを十字架にかけてくださいました。そこに神の愛があります。神は主イエスの犠牲を通して、私たちを贖ってくださいました。神は今も奇しい御業を行なわれます。詩人は葛藤を続けるうちに、神に本当に砕かれたと思います。そして詩人は、後半で神を褒め称えます。それは出エジプトにまで遡ります。あれ程の奇跡をしてくださった神は、今の苦しみを放っておかれるはずがない、そう確信を持ったことでしょう。神の奇しい御業に目を向けようではありませんか。その方が悲しみの中にある私たちをそのままにされるわけがない。大胆に主の御業を祈り求め、主をほめたたえましょう。
(2007.1/28 井下泰文 修養生)