神様、罪人のわたしを
  
      (ルカ18章 9〜14節)

ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。    (ルカ18章13節

 イエスさまはこの両極端の二人が登場するたとえ話をお話になりました。このたとえ話を通じて、私たちはお祈りのあるべき姿を学びたいと思っています。

1 お祈りに潜む危険性

 一番、宗教的と思われるような「祈り」という中にも入り込む罪や誘惑、落とし穴があります。

@自分に酔う危険性・・・確かに、彼は「神よ、感謝します」と言っています。けれどもそこで並べられるのは、自分がどんなに立派で、自分がどんなに偉くて、正しくて、神の恵みを受けるにふさわしいものかと言うことでした。

 私たちの信仰の歩みの中にも同じような危険性が潜んでいます。自分の賛美、自分の祈り、自分の奉仕・・・それらを誇り、それに酔ってしまうのです。そしていつの間にか、祈りが神にささげられるものであるということが忘れられてしまっています。

A人と比べる危険性・・・もう一つの危険性は神と自分ではなく、人の前に自分をひけらかし、また人と比べて、得意になったり、落ち込んだりするということです。パリサイ人の祈りは神に届きませんでした。

2 祝福をもたらす祈り

今度はこの取税人の祈りから祝福をもたらす祈りについて学びましょう。

@神さまに向かう・・・どんなに苦難があり、また罪深く、信仰さえ萎えてしまいそうなそんな時にも、「神さま」と呼びかけてください。あなたの祈りを待っていてくださる神がおられるからです。

A「罪人の私」を認める・・・あいつは、こいつはということではありません。私が罪人だと言うことを認めることのできる人は幸いです。

Bおゆるしくださいと神のゆるし・あわれみを求める・・・あなたは神にゆるしていただかなければどうすることもできないのです。ゆるしてください、と求め祈ってください。

 お祈りが神に届くときに何が起こるでしょうか。神は私たちを義としてくださいます。私たちは義とはかけ離れたものです。けれども神は祈り、神に近づく時にその者がどんなに罪深い者であってもその人を赦し、義としてくださいます。

取税人の生涯は変えられて、そこからまた彼は家にかえって行きました。私たちの生き方は神に近づくときにそこから変わるのです。

(2007.1/21