イエス・キリストをいつも思って
(Uテモテ2章 8〜 13節)
ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。 (Uテモテ2章 8節)
「イエス・キリストをいつも思っている」・・・そこに福音の本質があります。ですから私たちは、寝ても覚めてもイエスさまのことを考えて生きていきたいのです。イエスさまを思っていきたいのです。
T ダビデの子孫として生まれた方
ダビデの子孫として生まれたとはまさに一人の人となって天から下さってくださったことを意味しています。またダビデの子孫として生まれるとは、王として生まれてくださったことを意味しています。私たちは思い起こします。私たちには王がいる。どんなにこの国の権力者たちが勝ち誇っていたとしても、本当に世界とその歴史を治めておられる方がおられる。それがイエスだ。
U 死人の内からよみがえられた方
イエスは死なれました。けれども、それは私たちに対する愛の表れでした。私たちの罪を負って、十字架に死んでくださったのです。
けれどもそれで終わりではありませんでした。誰もを閉じこめてしまう最後の敵である死を、主は打ち破ってよみがえってくださったのです。
そして、このお方はよみがえって今も生きておられます。私たちは今も生きて共にいてくださるお方としてこのお方を思い続けていくのです。
V 真実な方
このお方は変わりません。彼はいつでも、常に真実です。この「彼は偽ることができない」と言うところで用いられている「偽る」という言葉は、ペテロがイエスさまを拒んで、とか打ち消して、知らないというときに用いられている言葉です。私たちは強がっていても、所詮はやっぱり不真実です。いざとなると神さまさえも捨ててしまうのです。けれども、そんな私たちに対しても神はどこまでも変わらず真実なのです。
それは私たちの日々の生活が自分の思うようにいくと言うことではないかもしれません。パウロは殉教しようとしています。この福音のおかげで、パウロは悪者のように言われ、鎖につながれています。けれども、このイエスは私にとって真実な方だ。パウロは語り続けるのです。
いろいろな試練があり、困難があるかもしれません。人に裏切られたり、自分のふがいなさにあきれ果てることもあるかもしれません。けれども、私たちはイエス・キリストを思い続けていくのです。その時に、私たちは福音に生きていくことができるのです。
(2007.1/7)