イエスはどこにおられか
  
      (マタイ25章 31〜 46節)

あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。  (マタイ2540節

 イエスは私たちのすぐ近くにおられます。でもあの当時の人たちがまさか馬小屋にはいないだろう・・・とたかをくくって、全く計算に入れていなかったように、実にイエスさまはすぐ近くですが意外なところにおられるように思います。私たちはこの一年どのように主と交わり、どこで主とお会いしていただろうか。どこに主を見いだしていただろうか。今日、イエスさまが帰ってこられたら、一体、私はこのたとえで言えばどちらに入るのだろうか。羊の側か、それとも山羊の側か・・・私たちは自分を吟味してみたいと思うのです。

1 右か左かに分けられる時が来る

 ヤギと羊はなかなか見分けるのが難しいと言います。私たちもこの地上においてはイエスさまを信じていても信じていなくてもよく似ているかもしれません。けれども、やっぱり違う。やがてその二者が分けられるときが来るのです。中間はありません。それは御国に移されて永遠の祝福に生きていくか、または永遠の火に投げ込まれるか、それはまさに私たちの永遠が決する日です。

2 羊とヤギを分けるもの

@最も小さい者への愛の業

 それは最も小さい者の一人に愛を注いだかどうかということなのです。

 私たちにとって最も小さい者とは誰のことでしょうか。飢えている人、かわいている人、旅人、裸の人、病気の人・・・最も日の当たらないところにいるようなそんな人の一人。何の見返りも期待おできないような人たちです。実は神からも捨てられているのではないかというようなそんな一人と神は共にいてくださり、そんな一人への愛の業を神は、私にしてくれたと受け止めてくださるのです。

Aするべきことをしなかった罪

主人は言います。これらの最も小さい者の一人にしなかったのは私にしなかったのだ。何か悪いことをしたと言って責められているのではありません。彼らはしなかったと言うことを指摘されているのです。

まとめ・・・今どう生きるかが、永遠を決める

 今、私たちがどう信じ、どう生きるかが問われています。あなたのすぐそばにいる主イエスに仕えていきたいと思うのです。

(2006.12/31