わたしは主のはしためです
  
      (ルカ 1章 34 38)

わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように。  (ルカ138


 神にはできないことはありません、そのように先週も学びました。ではどのようにして神のお言葉は私たちの内に実現していくのでしょうか。マリヤの姿から、神の御業を見る生き方について学びましょう。

1 信じた

 主が語られたことを信じることを主は求めておられます。信じるとは、語られたお方の御真実にすがることです。その語られたお方との信頼関係の中に生きることなのです。ですから、神を悲しませてしまうのは何かというと、それは不信仰です。ザカリヤの時にもそうでした。あなたは信じなかった。せっかく神が喜ばしい話を持ってきてくださっているのに、私たちはそこで自分の経験や知識、知恵を総動員しながら、それはあり得ない、とするのです。私たちは主を信じたいと思います。

2 主の僕として出た

 次に、マリヤは主の僕と言いました。はしためとは女奴隷のことです。私は主の僕、はしためです。パウロもそう言う言い方をしました。神が私たちに期待しておられるのは、神さま、あなたは私の主です。私はあなたが何をおっしゃたとしても信じます。従います、という主人と僕の関係なのです。この主人は決して残酷で自己中心で、自分のために僕を利用し、いらなくなったら捨てていくというような主人ではありません。僕のことを一番よく知っていて、僕のために一番良いことをしてくださる。私たちはこの主人のおっしゃることをしっかり聞いて、このお方が何をおっしゃったとしてもこのお方に従うのです。

3 み言葉が自分に実現することを受け入れる

 人のことでしたら、何でも言えるものです。お言葉通りこの身になりますように。その通りのことが本当に起こってしまって良いのか・・・そのことが突きつけられています。主は私に語られた。マリヤにとって、この神の言葉は、へらへらしながら、ほいほいと受け止めることができるようなものではありませんでした。けれども、自分の上に主は働いてくださると信じて受け止めたのです。そして、神はあなたがみ言葉を受け止めて、お言葉通りにと答えるときに、あなたを自由に用いて、すばらしい栄光を表してくださるのです。

(2006.12/17