花婿を迎える備え
  
      (マタイ 25章 1 13)

だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである  (マタイ2444


 教会はイエスさまの再臨を待ち望んでいます。そして、このイエスの再臨を待ち望む期間というのは、結婚式においてもそうであるように、いろいろな準備がいるのです。そしてこのことをもう少し具体的に理解させるために主はこの10人のおとめのたとえをなさいました。

 十人のおとめがいた。この人たちは花嫁の友人として、婚宴に出席することになっていた。そのようなユダヤの習慣があったようです。花婿が花嫁を迎えに来て、そこでまず祝宴を開きます。それから、花嫁を伴って花婿の家に行き、そこで再び盛大な婚宴が開かれるということになっていたそうです。その時に、花嫁の家で、花婿を迎える役目をしたのが十人のおとめだったのです。

1 寝てしまったおとめたち

 花婿の来るのを待っていたおとめたちがよりにもよって、十人が十人みんなそろって寝てしまったのです。 何ともぱっとしない話です。いつでもかっこいいクリスチャンでいたい。でも私たちの信仰の歩みが寝ぼけてしまうことがある。寝ぼけてしまって、ちょっと待ってくださいと言いたくなってしまう。予想もしないタイミング。間が悪い。けれども主は「花婿だ、迎えに出なさい!」と声をかけてくださる。そして結果として花婿が来たときに誰ひとり、それに気づかない人はいなかったのです。

2 油を備えておく

 女たちはすぐに準備をします。でもその中の五人は予備の油を持っていなかった。この「予備の油の有る無し」が彼女たちの運命を変えてしまったのです。主イエスが来られるときまでは、この予備の油の有る無しは関係がなかった。でも花婿なるイエスが来られるときにはその有る無しが大きな違いになってくる。そしてこれはひとりひとりが、自ら神の前にあって備えていくべきものなのです。遅すぎると言うときが来るのです。

3 思慮深さということ

 思慮深いと言うことは、弱さが全くないと言うことではありませんし、完璧であると言うことではありません。理解力があって頭が良く回るということでもありません。ここでイエスがおっしゃった思慮深さは、自分の弱さ小ささを覚えつつも、主が来られることを期待し、主の恵みに生きることなのです。

(2006.11/5