花嫁なる教会を迎えるために
(エペソ 5章 22〜 33節)
また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。 (エペソ5章25〜27節)
1 夫と妻
この聖書の箇所では夫と妻に対してこう語ります。妻は夫に従え、夫は妻を愛せよ。夫は妻のかしらだ。聖書は決して女性を蔑視してはいません。夫は妻のかしらとは、尊卑ではなく、優先順位と秩序の問題です。そして夫が優先順位の先に立つというの事は、「仕えると言うことに於ける優先権」なのです。キリストが私たちがまだ罪人だったときにまず私たちを愛して、私たちのために十字架に死んでくださったように、夫がまず妻を愛することをしてほしいのです。夫にはキリストの愛を見える形で妻に示していく責任があるし、妻には教会の愛と従順を夫に対して示していく責任があるのです。
2 キリストと教会との婚宴
そしてキリストの再臨の時というのはちょうど結婚式のようなものです。私たちには希望があります。喜びがある。それはやがて本当に花婿が迎えにくるように主が私たちを迎えに来てくださる。私たちがずっと主と共にいるためです。
3 キリストを迎える教会の備え
ここにはイエスが再臨されるときに、「しみもしわもそのたぐいのものがいっさいなくて清くて傷のない教会」を期待しておられると言うことが書かれています。けれども現実の教会はしみだらけ、しわだらけ、傷だらけで主イエスを迎える花嫁にはとてもふさわしくない・・・ように思えます。けれども知ってください。キリストは私たちに愛を注ぎ続け、やがてまさにしみもしわも傷もない清い姿の私たち、そして教会にしてくださる。そのように教会を養い育ててくださるのです。教会とキリストはまさに夫と妻が一つであるように一つであり、命のつながりをもっている、教会はキリストの命によって支えられている。だから私たちはかしらなるキリストに従っていくのです。それは私たちにとって、それは大きな喜びです。私のことをとことん愛し、また教会のために命を捨ててくださった主はそのことをしてくださるからです。
(2006.10/22)