共に礼拝する喜び
(ローマ 15章
1〜 13節)
どうか、忍耐と慰めとの神が、あなたがたに、キリスト・イエスにならって互いに同じ思いをいだかせ、こうして、心を一つにし、声を合わせて、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神をあがめさせてくださるように。 (ローマ15章 5-6節)
1、キリストがまず受け入れて下さったから
私たちはキリストの受け入れ大切にしておられる存在として相手を受け入れます。けれども、イエス様が受け入れておられるなら・・・というだけでなく、イエスがこの私を受け入れて下さっているのだということを忘れないでいたい。この私が受け入れていただいているから私も又受け入れるのです。
2、キリストがまず仕えて下さったから
キリストは私たちを受け入れて下さっただけでなく、私のしもベとなって私に仕えて下さいました。イエス様は私のためにご自身を低くし、十字架に死んで下さったのです。そして主は私たちにも仕えることを求められます。私たちにとってキリストに仕えるということは弱い隣人に仕えるということでもあります。それが、イエスに仕えていただいた者、また主に賜物をゆだねられている者としての責任なのです。
そこでは他者に対する忍耐と慰め、そして励ましが必要です。弱いからだめだというのではなく、喜んでその人の弱さをになう覚悟が必要になってきます。自分が得をするために他者を利用するのではなく、他者の喜び・その人の徳・その人の益のために生きる。弱い人をしもべとして利用するのではなく、弱い人のしもベになって仕えていくのです。
3、同じ思いを持ち、心をーつにし、声を合わせ神を礼拝するために
私もこの人もあの人も同じように主によってこの時、同じ教会につなげられている。それは全然違うお互いが、直接的には異邦人とユダヤ人が、そして今の時代、ここに集わせていただいているお互いが、ひとつになって主を礼拝するためなのです。これはオーケストラとか聖歌隊のハーモニーのようです。それぞれがパートに分かれて賛美していても、指揮者に合わせて歌うときに一つの声になっていく。それは旧約聖書の時代からの神の約束です。そして今日も主はそのことをして下さるのです。
(2006.7/30)