喜びに満たされて
(ピリピ 4章 4〜 7節)
あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。。 (ピリピ 4章 4節)
でもパウロは言います。でも自分は喜んでいる。自分は幸せだ。なぜって自分はこの神さまを知っているから。そしてこれは、どんなことにも替えられない、すばらしい価値のあることなのだ。それではこの神さまはどんなお方なのでしょうか。
1 祈りを聞いてくださる方
パウロは喜んでいなさいと言った後で、「何も心配しないで、感謝をもってあなたの願いを神に申し上げなさい」と勧めます。このお方は私たちの祈りを聞いてくださるお方です。私たちにはそのような神がいてくださるのです。そして、私たちはありのままの姿で飾ることなく神さまに近づいて、まるで自分の大好きな人に語りかけるように語ることをゆるされているのです。
2 私たちの弱さや痛み、罪深さを分かってくださる方
この神は私たちの弱さも、足りなさも、そして罪深さも分かってくださるお方です。なぜでしょうか。実はこのピリピにあてた手紙の2章でも言っているのですが、私たちの知るイエス・キリストは神のひとり子であったにもかかわらず人になってこの世に来てくださったからです。貧しい生涯を送り、多くの人たちに誤解され、嫌われ、そして愛を注いだのにねたまれるという踏んだり蹴ったりの生涯を送ってくださいました。ですから、神はあなたの思いを、行き詰まりを分かってくださるのです。
3 力のある方
イエスは単に人間の弱さ罪深さを理解するだけではなく、そんな私たちを救うために十字架にかかってくださいました。あそこで神の子が私たちの罪を負って死なれた。私たちに代わって見捨てられてくださった。そんなお方が私たちにはいてくださるのです。パウロは言います。あなたのために命をも捨ててくださった方は、なおさらあなたのためにはどんなことでもしてくださる。このお方は私たちの祈りに応えてどんな必要も満たすことがおできになります。私を強くして、私がどんな境遇の中にあっても喜びを持って生きることができるように私たちを強くしてくださるのです。
(2006.9/24)