キリストの体としての教会
  
      (Tコリント12章 4 27)

あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。   (Tコリント12章 27節)


 東京中央教会はキリストの体です。これはどういうことなのでしょうか。

1 わたしたちは一つ

@私たちを造り、全てのことの中に働いてすべてのことをなさる神は一つ・・・私たちはみな、神が私たちの作者だと言うことにおいて一つです。そして私たちを造られた神は歴史の中に働いてこられました。そしてその同じ神が私の内にも働いておられるのです。

A私たちを愛し、救ってくださったのはイエス・キリスト一人・・・他には救いはありません。他には救い主はおられません。このお方の十字架によって私たちは救われたのです。だから私たちは一つです。

B私たちの内に住んでくださる御霊は一つです・・・私たちの内には同じ御霊が住んでいてくださいます。神さまはご自身の霊を私たち一人一人に与えていてくださるのです。

 このことが私たちがバプテスマを受けたというそのことによって私たちの内に現実のものとなるのです。

2 わたしたちはいろいろ

 私たちはキリストにあって一つです。けれども同じではいけません。みんなが違うからいい。神は一人ですべてが事足りるようには私たちを造られませんでした。私に神はすばらしい賜物をくださった。けれども同時に私の隣にいる人にもすばらしい賜物を与えてくださった。その人の存在なしに私はない。だから、誰一人卑屈になる必要はない。また、あの人は私のようでないからと見下げてもいけない。

 神は、私たちが共に集い、力を合わせて歩んでいくように定められました。私は私のために生きるのではなく、私のために死んでくださった頭なるイエスさまのために生きる。そして私の周りにいる他の人たちのために生きるのです。

 私たちにはお互いが必要です。私の側にいて、私と共に悩み、共に喜んでくれる人がいる。また誰かが弱っているときに、その人のために私も祈る。互いに支え合い、互いにいたわり合う。

 何で違うのに、そんなことができるか。それはキリストの命が私たちに与えられているから、キリストにあって私たちは一つだからなのです。今日、あなたも、このような交わりの中に招かれ、また置かれていることを知っていただきたいと思います。

(2006.8/20