旅としての信仰
  
      (ヘブル 11章 819)

これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。   (ヘブル11章 13節)


 聖書においては信仰の歩みをたびたび旅にたとえています。こうして礼拝を共に守っている私たちは共に旅をするものと言ってもよいでしょう。

1 旅する者たちに与えられているもの

 この信仰の旅には、ある意味での真剣さが求められています。そしてその旅をする者たちに神は命令と約束とを与えられます。

@命令・・・アブラハムの生涯を思い出してみてください。神はアブラハムに「受け継ぐべき地に出て行け」とおっしゃり、また「イサクを献げよ」とおっしゃいます。アブラハムは実は行き先を知らなかった、とヘブル書の記者は言います。私たちの旅においてもそうです。私たちに歩むべき一歩を示される方は真実なお方、間違うことのない、全体をきちんと把握しておられるお方、私の能力も性格も弱さも知っておられるお方。そのお方が私たちを信頼して、命令を下されるのです。

A約束・・・神が命令を下されるときに、神は私たちを素手で手ぶらで送り出されるわけではありません。神は私たちに約束を与えられます。神が約束してくださったときには心配は無用です。神は偽ることがおできにならないからです。

2 旅する者たちに求められているもの

 神は命令と約束を与えて私たちの旅を導かれます。そして旅をする私たちにも大切なことがあります。

 それは神さまの約束を、そして約束してくださったお方様に対する信頼・信仰と言うことです。このところには「信仰」という言葉が繰り返されます。何をするにも信仰によって歩む。信仰、それはこの地上のことだけを考えて生きるのではありません。見えない世界をみるようにして歩んでいくのです。

 ここで信仰と言うことを考えるときに大切なことは、信仰は単に心の中で信じるということに留まらないはずだと言うことです。具体的には信じたら、そのように生きる、神の命令に従うと言うことです。私たちは信仰の歩みをしています。

 ここでもう一つ、神さまが私たちに約束してくださっているものがあります。それは神の臨在であり、そして共に歩む仲間なのです。

(2006.8/13