私に従ってきなさい
  
      (ヨハネ 15章 1519)

「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。  (ヨハネ21章 17節)


 この個所は、甦られた主が三度目に弟子たちに現れて下さったところです。二度目の時、トマスが主を見て主の愛の溢れる眼差しに触れた時、確かに主がそこにおられるという霊的な臨在を実感して主の前にひれ伏しました。

 このところは主が三度ペテロに「あなたは私を愛するか」と問いかけながら、主が「私に従ってきなさい」と言われることによって宣教の御業を引き継ぐ担い手としてバトンタッチをする相手にペテロを選ばれ、任命されて送り出される大切な聖書の個所です。この大事な召命をなされるに当たり、神様は最初にあの人間をとる漁師として呼び出された同じ場面を用意されました。私たちの一つ一つの決断を迫る、信仰の応答を求められる時に、その人に応じた舞台をいつも用意して下さるのです。ペテロは最初「主よ、そうです」と、明解に自信をもって答えましたが、三度も「これらの人以上に私を愛するか」と同じ質問をされて自分の内側を、自分の愛がどれほどあるかと思わされたのではないでしょうか。確かにペテロは主を愛していたことは間違いないのですが、主に三度同じ質問をされてさすがにペテロはまいってしまい、グッとつまり前と同じように答えることが出来ませんでした。彼は頭の中で考え、思い出したかもしれません。ペテロは人間の自己中心の部分が出て答えました。それでいいのか、と問いかけられて、うなだれ、打ちふしてイエス様を見上げることの出来ないペテロがいたことでしょう。そのペテロに注がれていたのは、あのイエス様のペテロを見つめた愛の眼差しではなかったでしょうか。私の心の奥底のひだに隠れてしまっている自分でも見えなくなっている醜い、汚いものすべてを神様はご存知です。気がついたら、「それでいいんだ。ありのままのあなたで私に従いなさい」と主は言われます。「従うことによってのみ聖いものは生まれる」のです。これまでの私の歩みの中でも、「信仰の決断をしなさい」という、一歩を踏み出す応答を迫られる経験を何度もしました。私たちの思い・考えや想像と違っても神様のお約束にすがり、立ち止らずに踏み出しましょう。

(2006.8/6