よい羊飼いであるイエス
(ヨハネ 10章 1〜18節)
わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。 (ヨハネ10章 11節)
私たちがもし神のものであれば、私たちはすでに「自分のために生きる」ということを止めます。自分が楽しむようなことをしてはいけないということではありません。けれども、それがすべてになったり第一になってはいけない。私たちは神さまを第一にし、神の御声に耳を傾けて、神に聞き、神さまに仕えていくのです。何をするにも主のためにする。主のために仕事をする。主のために料理を作る。主のために子育てに時間をかける。主のために勉強をする。そのような祈りと姿勢をもって神に仕えていきたいのです。
2 お互いを受け入れ合う
私たちは主のものということは、私は主のもの、でも同時にあなたも主のもの、私たちは主のものということなのです。パウロはこのところで、信仰の弱い者を受け入れなさいと言うことを語ります。私たちはイエスさまを信じて生きている。けれども具体的な生き方と言うところになってくるといろいろな考え方の違いもある。けれども私が主の僕であるのと同じように、あの人も主の僕。受け入れなさい。自分よりも信仰の弱い人、経験の浅い人、すぐにつまづく人。自分が神の前に正しく歩む、ということは大切ですが、人を裁いたり、人に文句付けたりばかりしていてはいけません。私たちはみんな神のものだからお互いを大切にしたいと思うのです。
3 支えてくださる主に信頼する
「私のもの」とおっしゃる方は、私たち一人一人を責任持って導いてくださいます。私も私の周りにいる信仰の仲間も主は支え、造り上げてくださいます。私たちの歩みの中には弱ることも疲れることも倒れることもあるかもしれません。しかし、たとい倒れることがあっても、「主は彼を立たせることがおできになる」。その栄光の御座の前に立つその日まで、神は責任をもって私たちを導いてくださるのです。
(2006.7/23)