私たちのために犠牲を払われた神
  
      (Tペテロ 1章 18〜21節)

あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。  (Tペテロ1章18〜19節)


 神は私たちを救うために大きな犠牲を払ってくださいました。それが神の愛であり、神が私たちに与えてくださっている救いなのです。

1 罪のゆるしをもたらすあがない

イスラエルの人たちが罪を犯したとき、小羊をほふってその血を祭壇に注ぎかけ、罪をゆるしてくださいと祈りました。どんなに小さな罪であっても罪を犯した本人の代わりに、動物の血が流される必要があったのです。毎年、数限りない動物の血が流されました。その命によって罪のあがないがなされたのです。けれども動物の血は本当のところを言うと、誰かの罪を贖う力はないのです。それはやがてこられる救い主によるあがないを指し示すものでした。

 自由をもたらすあがない

またこの「あがない」という言葉には身代金を払って買い取り、自由の身にすると言う意味があります。聖書は私たちは社会的な身分としては奴隷でなかったとしても、実際には「罪の奴隷」なのだと言っています。私たちは自由ではなかった。そして私たちを支配していた罪という主人はなかなか私たちを解放してくれない。けれども神ご自身が私たちのために代価を払い、身代金を払って、私たちを全く自由にしてくださったのです。罪から自由にされ、神に自由に仕えることができるようにしてくださったのです。

3 キリストの血によるあがない

古い空しい生き方から私たちが新しい生き方へと移されるために、神はとんでも無いことをしてくださいました。金銀や動物の血は本当の意味で私たちを救わない、古い生き方から解放しない。私たちのために神が支払ってくださったのは罪のない神の子イエス・キリストの十字架の死という代価でした。これ以上、大きな代価はない。神は最高最大のものを私たちのためにささげてくださったのです。

このお方によって私たちは罪から自由にされて神に仕えることができるようにされました。このお方によって私たちは罪を全くゆるされ、義とされました。そしてこのお方の流されたその尊い血潮によって私たちはきよくされ、神に望みをおいて生きる者へと変えられるのです。


(2006.7/9