心を合わせて祈る群れ
  
      (マタイ 18章 15〜 20節)

よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。 (マタイ18章19節


 教会とは共に祈る群れです。もちろん、お祈りは一人でもできます。神さまは私たちの小さな祈りをも聞いてくださいます。けれども、心を合わせる祈りこそが教会の一番教会らしいところ、教会を教会たらしめるためにとても重要なものなのです。

1 祈る群れとしての教会

 教会は祈る群れです。

@二人の祈り・・・人数は必ずしも問題ではありません。二人でもいいのです。
A心を合わせた祈り・・・大切なことは二人が心を合わせることです。けれども実際には私たちが心を合わせると言うことは決してやさしいことではありません。でも教会は二人の人があちらでもこちらでも祈っている・・・そう言う場所なのです。
B地上の祈り・・・私たちの祈りは決して高尚なものではないでしょう。うめき叫ぶものであるにちがいありません。まさに地をはうような歩みの中から祈りは出てくるのです。
Cイエスと共なる祈り・・・けれどもここに大きな励ましがあります。私たち二人が心を合わせて祈っているときにイエスさまはそこにいてくださるのです。祈れない私たちにつきあい、私たちの祈りを支えてくださるのです。

2 祈りに答えられる神

 イエスさまは約束してくださいました。神さまは私たちの祈りをかなえてくださいます。へえ、そんなことあるのだろうか。イエスさまはおっしゃるのです。わたしのお父さんは大丈夫だ。私は私のお父さんのことは何でもよく知っている。私の父はかなえてくださる。

3 何を祈るのか

 「どんな願い事についても」とここでは言われています。けれども今日の聖書の箇所の前半で言われていますのは誰かが罪を犯した場合ということです。さまざまなことがあり、いろいろな祈りの課題があります。何でも祈りたいと思います。けれども一番はやはりお互いのことです。誰かが失敗したり、罪を犯して神から離れていくようなときに、それでもそんな誰かのために祈ってほしい。神さまが投げ出さない限り、私たちも投げ出さないで、心を合わせて祈りあっていきたい。それが教会だ。そして神さまは私たちの祈りにこたえてくださるのです。

(2006.6/11