神の情熱
(イザヤ61章 10節〜62章 5節)
シオンの義が朝日の輝きのようにあらわれいで、エルサレムの救が燃えるたいまつの様になるまで、わたしはシオンのために黙せず、エルサレムのために休まない。 (イザヤ62章1節)
確かにイザヤ書の中でも神は傷ついた葦を折ることなく、消えかかった灯芯を吹き消すことはない・・・とおっしゃるお方として描かれています。どんなに弱くても神は受け入れてくださいます。けれども、あなたはいつまでもそうなのだとはおっしゃらないのです。神はそんなあなたが輝いていくのだとおっしゃってそうでなければ私は満足しない、とおっしゃるのです。なぜ神はそのようにおっしゃるのでしょうか。神は私たちを愛しておられるからです。
私たちが朝日の輝きのようになることを切望している神は、ほら、しっかり輝け、しっかり輝くまで私は勘弁しないぞという話をしておられるのではありません。神はその切望が成就するまで私は黙すことはない、やめない。私がするのだとおっしゃるのです。私は手をゆるめない。やすむこともない。そしてこの熱情の神は私たちが滅びるのを耐えることができず、ついにはご自身の尊いひとり子さえも与えてくださったのです。そして、私はあなたを救ったよ、あとは適当にやりなさいということではない。黙すことはない。休むことはない。黙さないと言うことは、神は語り続けてくださると言うことです。神が語り続けてくださるときに、神はそのみ言葉によって私たちに命を与え造り続けてくださるのです。私たちの信仰の歩みをも支えて、私たちが力強いキリスト者として生きて、傷のない者として御前に立つことになると約束し、そのお約束の成就のために神は今日も私たちと共にいて、私たちのために大きな業をなしてくださるのです。
(2006.5/7)