神がよろこばれる教会だから
(イザヤ61章 10節〜62章 5節)
花婿が花嫁を喜ぶようにあなたの神はあなたを喜ばれる。 (イザヤ62章5節)
この一年は「教会」が「教会らしくあること」を考えたいと思います。しかし、ここでまず気をつけたいことは、自分の教会はここが強くてここが弱い。だから弱さが克服できるようにがんばろうというのではなくて、私たちが主にあって召し集められたと言うことにおいてすでに、主の大きな愛の中に置かれているのであり、また主の喜びなのだということなのです。まず、私たちは主の喜ばれる教会だから、主の花嫁にふさわしい整えをいただきたいのです。
T 捨てられた者
実はイスラエルの民は「捨てられた者」「荒れた者」と呼ばれていたのです。というのはイスラエルは神さまに背いて自分勝手な道を行ってしまったからです。まさに危機的な状況にあるのに多くの人たちはそれに気づかない。それが現状でした。ああこの国は「捨てられてしまう」。私たちはどうでしょうか。私たちは捨てられることはないのでしょうか。本当は捨てられても仕方のない者なのだと本当に思います。
U わがよろこびと呼ばれる者
けれども、イザヤはその先を見ていました。そんなイスラエルが、回復される時が来る。えーあのイスラエルが?そうあの本当に頑固なイスラエルが「配偶ある者」「わがよろこび」と呼ばれるようになる。その神さまの喜びようったら、まるで花婿が花嫁を喜んでいるかのようだ。花嫁?私たちはそんなにきれいでしょうか。そんなに清いでしょうか。いいえ、本当だったら神に捨てられておしまいであったはずのイスラエルが神になお愛されているように、神は私たち、中央教会をも愛してくださるのです。
V 神が喜ばれる教会だから
確かに聖書では教会をキリストの花嫁と呼びます。やがてイエスさまと教会との結婚式がある。その時まで教会は身支度を調えます。どうぞ知ってください、神は私たちを喜んでくださっている。ある人は、いつ神さまに見捨てられようかとびくびくしながら信仰生活を送っています。けれども神はなお私たちを愛し、喜んでいてくださる。理屈は分からない。何でこんな私が神さまに喜ばれるかって信じられない。けれども、神さまはあなたを喜んでくださるのです。そして私たちはそんな神を見ながらまた喜びに満たされるのです。
(2006.4/23)