キリストはよみがえられた
(Tコリント15章 12〜 20節)
あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。 (ルカ第24章5〜6節)
「私たちはこの方こそが私たちの救い主だと思っていたのに・・・ああ、もうおしまいだ」
マリヤたちは肩を落とし、足を引きずるようにして、深い悲しみの中でイエスの墓にやってきました。イエスを愛していた彼らは、せめてイエスのお体に香油と香料を塗って差し上げたいと思ったのです。
けれどもどうでしょう。墓の入り口がぽっかり空いています。中に入ってみると、イエスの体が見あたりません。彼女たちはパニックになったことでしょう。けれどもそこに二人の天使が現れて言いました。
「あなたがたはここに、このお墓に何をしに来たのですか。誰を捜しているのですか。お墓にいるのは死んだ人です。何で生きた方を死人の中に、お墓に探しに来たのですか。イエスさまはもうここにはおられません。よみがえられたのです。さあ、思い出してご覧なさい。イエスさまは自分は悪い人たちに捕まえられて十字架につけられて死ぬけれど、三日目によみがえるとおっしゃっていたでしょう。さあ、言ってお弟子さんたちに、このことを知らせなさい」。女たちはこのニュースを他の弟子たちの所にとんでいって伝えました。
知ってください。イエスさまは私たちの罪を負って死んでくださいました。でもイエスさまは死を打ち破ってよみがえってくださいました。それは確かにイエスさまが私たちの身代わりに死んでくださった、そのことが受け入れられたしるしでした。そしてそれはイエスさまを信じる人に新しい命が与えられるしるしでした。それだけではありません。私たちもいつかみんな死ぬでしょう。先生も死ぬのが怖くて怖くてたまりませんでした。なぜでしょう。死んだら終わりだからです。そうです。死んだら終わりだったんです。でも、イエスさまを見てください。死んで終わりではなかった。私たちもみんないつかは死ぬでしょう。ここには小さなお友だちもいます。でも今から百三十年もしたら誰も生きていないに違いありません。でも死んで終わりではない。イエスさまが死んで終わりでなかったように、私たちも、そして私たちより先に死んでいった家族や友だち、先輩も死んで終わりではないのです。イエスさまがよみがえられたように、私たちも死を打ち破ってよみがえるのです。
(2006.4/16)