神の国はどこにある?
(ルカ17章 20〜 21節)
神の国は、見られるかたちで来るものではない。また「見よ、ここにある」「あそこにある」などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。 (ルカ17章20〜21節)
パリサイ人がイエスさまに質問をします。それは「神の国はいつくるのか?」という問いでした。ただここで注意しなければならないことがあります。パリサイ人たちやイスラエルの人たちが期待していたのはローマからの独立を勝ち取って、宗教家たちが治める国が樹立されると言うことでした。けれどもイエスの考えられたのはそうではなかったのです。ですからここでまず答えられたイエスの答えは、神の国って実はこういうものなのだよと言うことだったのです。
1 神の国への誤解
次のような誤解があります。
@この地上に樹立されるもの・・・イエスははっきりと見られる形で来るものではないとおっしゃいました。見よ、ここに、あそこにといえるようなものではないのです。
A神々の世界、天上界、霊界のようなもの・・・けれども、それは決して私たちの手の届かないようなところではありません。ですからイエスははっきりと「あなたがたのただ中に」とおっしゃったのです。
B将来来るもの・・・確かに神の国の完成は将来かもしれません。けれどもイエスははっきりと神の国は今もあるのだとおっしゃるのです。
2 イエスの見ておられた神の国
@神の支配としての神の国・・・「神の」国と言われるのは、そこでは神が主人であり、神が主権をもって治めておられるからです。
Aイエスを信じる者たちの中に成就している神の国・・・イエスは「あなたがたのただ中に」とおっしゃいました。それはイエスの話を聞こうと集まってきていた人々でした。今で言えば、まさにそれは教会です。イエスを信じる者たち、またイエスに学ぼうと求めて集まってきた人々のただ中に神の国はあるのです。
B神の国としてのイエス・キリスト「あなたがたのただ中」とはまさに彼らの輪の真ん中におられたイエス・キリストを指していました。まさにイエスこそが神の国を私たちにもたらしてくださったお方なのです。
もちろん、その完成の時については22節以下にあるように私たちは待たなければならないでしょう。けれども私たちの内に、私たちの真ん中にイエスさまがおられるときに神の国はすでにきているのです。感謝しましょう。
(2006.4/2)