ふつつかな僕として
  
      (ルカ 17章7〜10節)

わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません。 (ルカ 17章10節)


私たちは神の僕として招かれています。僕とはどういう生き方をするのでしょうか。

1 主人の心を知ること
 まず大事なことは主人が何を願っているかを的確に把握することです。私たちは聖書を通して神が自分に何を願っておられるかを知っていきます。私たちは神の僕として、デボーションの時を大切にしたいと思います。

2 主人に従うこと
 次に大切なことは、主人に従うことです。実は神が私たちに求めておられることは「畑を耕してくれ。食事の用意をしてくれ」というように小さなことかもしれません。大切なことは、神の御心を知って、それがどんなに小さなことであってもコツコツと「なすべきこと」をしていくことです。

 主が私たちにおっしゃることは時に難しく感じることもあります。先々週、私たちは「ゆるし」ということについて学びました。「ゆるしなさい」と言われてもゆるすということは決してやさしいことではありません。けれどもあなたが僕だったら従うことです。神さまはあなたが従うときにちゃんとそのために必要な力もくださるからです。

3 へりくだって謙虚に生きること
 そこで何か自分がしたからと言って誇ったり、誰か他の人を見下げたり、自分はこんなにしていると神の前にごねたりするとしたら、それは全く筋違いです。私たちに大切なことはどれだけ神のために働いたとしても、「私はふつつかな僕です。何も誇るべきことはありません。わたしはなすべきことをしたに過ぎないのですから」。そしてまた次の日もコツコツと生きていく。そんなものでありたいと思います。

 ここであと二つのことをお話したいと思います。一つは私たちは誰の僕かということです。神の僕です。けれども同時に、イエスは「すべての人の僕となれ」とおっしゃいました。私たちに罪をおかす人がいます。私たちは神の僕として、そして、その人たちの僕として生き、なすべきことをしたに過ぎませんと応えることができればと思います。

 もう一つのことを覚えてください。イエスご自身が誰にもまさって僕として生きていかれたということです。神の御子であられるお方が人の姿をとって十字架の死に至るまで神の僕として忠実に生きいかれた。いいえ、僕のようにして私たちに仕えてくださったのです。そして私たちもこのお方にあってのみ僕としての生き方を全うすることができるのです。

(2006.3/5)