主はわたしの牧者
  
      (詩篇23 16)

主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。  (詩篇23篇1〜2節)


 新しい年が始まります。そして、この年も主ご自身がわたしの羊飼いとして私たちを導いてくださるのです。

1 羊飼いが羊の人生を決める

 「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない」と詩篇の記者はいいます。このお方が私の羊飼いであったら、わたしには何も欠けはないというのです。確かに羊の人生は羊飼い次第です。イエスはヨハネの十章でよい羊飼いと悪い羊飼いについて語っています。よい羊飼いは羊の名前を全部知っている。よい羊飼いはその名前を呼んで連れ出す。盗人や狼が来たら、その相手を倒す。もし羊が迷うようなことがあったら、その羊が見つかるまで探し続ける。羊を愛して、羊のためだったら、自分の命さえも惜しまない。これが悪い羊飼いにかかったら大変です。名前は知らない。羊の先頭ではなく、羊のことが全くわかっていない。敵が来たら逃げてしまうし、もし羊が弱っていたら見捨てる、切り捨てる。まさに羊が立つも倒れるも羊飼い次第です。けれども主がわたしの羊飼いだったら、こんなにうれしいことはない。羊飼いなる「主」こそが私の生涯を決めていきます。

2 羊の導き手なる羊飼い

 羊飼いは羊たちの先頭に立って羊を導きます。主は私たちが進むべき道をご存じです。神がご存じの道は私たちの知っている道とは違うかも知れません。けれどもこの羊飼いは決して迷うことはありません。この羊飼いは自分がその羊をどこに導こうとしているのかご存じです。主は私をどこに導いてくださるのでしょうか。緑の牧場、憩いのみぎわです。いずれも羊が命を保つために欠かせないものです。緑が豊かであれば、そして憩いのみぎわを知っていたら、羊はいつも満たされているのです。神も私たちをそのような祝福の中に招いてくださいます。

 私たちは時に不安を感じることがあるかもしれません。この羊飼いは自分をどこに導こうとしておられるのだろうか、と不安・不信感を募らせるようなそんなときにも、どうぞ知ってください。神は私たちを豊かな命へと導いてくださるのです。

私たちは今年もこの神を牧者として信じ受け入れ、このお方に従う者たちでありたいと思います。

(2006.1/1)