このままの姿で精一杯生きる
  
      (ルカ181517)

幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい、止めてはならない。神の国はこのような者の国である。  ルカ18章16節

 私たちに語られるこの主イエスの言葉は、自分に自信を失い、弱さを思い知らされる時に本当に力強い言葉です。神は私たちをご自分の国にこのありのままの姿で受け入れていて下さいます。ここで主は私たちに向かって「幼な子よ」と呼びかけておられます。肉体の年齢や心の年齢に関係なく、いくつになっても私たちは神の前では幼な子です。幼な子と呼ばれるほど素直な心で生きている訳でもなく、私たちはいろいろと悩みを抱え苦しい思いをしてこの世界がどんなに信用ならないかを学び、無邪気に信頼して生きていくことは出来ません。そんな私たちに主は断固として「あなたは幼な子なのだ」と言われます。親に支えられ、親の手によらなければ生きていけない赤ちゃんだと。

人を信頼できないで自分を頼りにしても自分が一番不確かな人間であることを思い知らされ、私たちは一人で悩みを抱え込み立ち尽くす思いになります。その時心の底から自分の力では生きていけない、何一つすることが出来ないと思います。しかし、父なる神はそうやって泣き声を上げる私たちをいつも見守り、傍らにいて守り支えていて下さいます。どんなに年を重ねても神の前では私たちは赤ちゃんとして神の前に生きていけるのです。

この前の個所で取税人が神殿の端で「ここに立つ資格のない者です。でもあなたを離れては生きていけません、私を憐れんで下さい。赦して受け入れて下さい」と祈ったように、神の赦しと憐れみを信じてこのお方の前に立つたびに神の御腕に自分を委ねていき、自分の祈りとさせて頂きましょう。

マルチン・ルターは「キリスト者にとって何よりも大切なことは、日毎に罪の赦しを信じ、悔い改めて生きることだ」と、言っています。それほどダメな人間だからではなく、本当に自分の罪、弱さを示されるのならばいつも神の前に持っていき神の赦しを信じながら、私たちが神に受け入れられていることを信じながら生き続けていくことです。神の前に心から悔い改めて、私たちに与えられた歩みをこのお方のみを信頼して幼な子として精一杯生かして頂きましょう。

(11/20  安井 聖師