聖書に親しんで
  
      (Uテモテ 3章 1017)

また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。  Uテモテ3章15節

 このテモテへの第二の手紙を書いた時、パウロはすでに老境に達し、そして殉教を前にして、ローマの獄中にいただろうといいます。パウロにとって捕らわれの身であるということ自体は必ずしも悲しいことではありませんでした。それはパウロは様々な経験を通して、自分の身に起こってくる様々な艱難が、実は福音の前進につながっていくということを知っていたからです。(ピリピ一12)。ただ、パウロの心の痛みは、様々な困難や迫害の中で信仰から離れていく者たちがいたということです。

 パウロは殉教を前にして、神の授けてくださる栄冠を望みながら、ああ、もう一度テモテに手紙を書こうと思い立ったのでした。パウロが最初ルステラでテモテと会ったとき、テモテはまだ少年でした。ただ、祖母ロイス・母ユニケの信仰の中にあって育てられたテモテの中に神の賜物と召しとを認めて、パウロはテモテを自分の伝道旅行に同行させ、また、パウロの仕事を手伝わせます。この手紙を書いた時にはテモテはエペソの教会の牧師でした。テモテには若さくるもろさのようなものもあったかもしれませんし、教会の中にもテモテをその年齢のゆえに軽く見る人たちがいたかもしれません。けれどもパウロはテモテを信頼していました。テモテを立ててその霊を注いでくださった神を、そしてテモテを小さいときから導き続けた聖書の御言を信頼していたのです。

 テモテは小さいときから聖書に親しんでいました。書かれた書物に触れるずっと前からテモテは母や祖母が語る聖書の御言に親しんできたのでしょう。聖書は私たちを救いに導きます。そして、又、救われた私たちを導き続けて、教え・戒め・正しくし・義に導いて、神のお役に立つ器へと私たちを造りかえていくのです。聖書によって自分たちは生かされ、そしてその命を与える御言を、時が良くても悪くても、また人々が喜んでも嫌がっても、語り続けるのです。これはまさにパウロの遺言でした。これは私たちへの遺言でもあります。御言に親しみ、これによって歩み、これを大胆に語るものたちでありたいと思います。

(11/13)