響き合う心
  
      (ルカ15章 1124)

このあなたの弟は、死んでいたのに生き返りいなくなっていたのに見つかったのだから    ルカ15章32節


 ある雑誌に「とかく子育ては不条理である」とありました。親の思うようには育たず、親の努力イコール子どもの成長とは限りません。聖書の中の親子関係を見ても子育てに苦労している親がたくさん出てきます。

この放蕩息子の父はどんな人物であり、世間はどう評価するでしょうか。きっと今なら、教育のなっていない、ダメな親と評価されることでしょう。この弟息子は、親から離れたい願望から身代を分けてもらい、遠くへ出かけました。お金で人を動かせましたが、お金が無くなると孤独に陥り、虚しさを感じ、不安になり、それまでの喜びが嘆きに変わりました。人生の最大の危機を味わい、その時自分がどこにいるのか、父から遠く離れている自分に気づきます。彼はその時もう一度父の元に帰ろうと決心しました。このことを絵にした画家にレンブラントがいます。「放蕩息子の帰還」で、この絵の一番の中心は、優しく息子を抱いている父の手。ごつごつした力強い左手、すっきりした母のような右手です。父親は帰ってきた息子に何の条件を求めず、そのままの姿で受け入れ関係を回復しました。ミケランジェロの名画「アダムの創造」には、神の慈しみの表情、見つめ合い指が触れ合う豊かな交わり、響き合う心があります。キリスト教の救いは、善行を積み条件を満たすことによるのではなく、神の一方的な憐れみにより人間が神との麗しい関係の中に回復されることを言います。キリストはまさにその関係の回復のために来て下さり、命を与えて下さいました。

現代社会は、どれだけ条件を満すかで評価しますが、一番大切なものは「関係」です。不登校になった子どもを抱え、ある親が自分の知識で何とか解決しようとして必死になりながら、肝心の息子が見えていない。その子どもは両親に言いました。「僕はここにいるよ」。

私が美大受験のため予備校に通っていた頃、親の期待に応えられず、心に不安を感じ悩み、不安定になり落ち着きを失って実家に帰った時、父は私に「良く帰ってきた。さあ食べよう」とだけ言って迎えてくれました。この放蕩息子の父親と重なりました。自分でどうすることもできないと、気がついて立ち帰る時、神様は本当に全存在をもって私たちを受け入れて下さるのです。


(10/23  町田 俊之師