ここに愛がある
  
      (Tヨハネ4章712)

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。   (Tヨハネ4章10節)

 多くの人たちが昔から愛を求め、愛を捜してきました。どこに愛はあるのだろう。ヨハネは言います。ここにある。

1 愛を知らなかった私

 私たちは神を知るまで、愛を知りませんでした。私たちは罪を負って死んでいた。私たちは思っているより罪深い。私たちは神を愛していなかった。私たちは罪を犯し、神との関係がこじれにこじれ切れてしまっていた。私たちは死んでいたのです。

2 わたしを愛してくださった神

 愛を知らなかった私たち、愛どころではない、神を知らず、神に背を向け、本来なら当然滅んでいくべき私がいる。けれども、その愛の対象からはかけ離れた私に神さまの愛が注がれている。ここに私を愛してくださった神さまがおられる。愛神さまは何をしてくださったのでしょうか。神はひとり子を世に遣わしてくださった。そして御子ご自身が滅ぶべき私のために、私たちの罪のあがないをしてくださった。罪をおかし、愛を知らずに生きていた私が滅びないでよいように、本来私が負うべき罪の罰を、神の御子イエスが代わりに十字架において負ってくださった。私たちが神から生まれ、神のいのちに生きる者となるためです。ここに愛があるのです。

3 愛する私

 私たちは私のことを愛していてくださる神さまに出会います。それは私たちが滅びないで永遠のいのちを得るためだけでなく、私たちもまた愛するものへと変えられるためです。愛を注いでくださった神さまを愛する者、そして兄弟姉妹同士、互いに愛し合う者へと変えられるのです。愛は神からのものです。私たちが私たちを救うイエスの愛を受け止めるときに、神が私たちの内に住んでくださって、愛のない者を愛する者へと変えてくださるのです。

 愛は受けるだけではわかったことにはなりません。愛は愛されて初めて分かり、愛してはじめて分かるのです。愛するまでは神の愛がわかったこと、本当に受け止めたことにはならないのです。

 そして神さまは私たちを愛して、今も私たちが愛に生きる者として歩んでいけるように今日も愛を注ぎ続けていてくださるのです。

(10/2)