旧約にあらわされた神の救い
  
(申命記 6:1〜9)

イスラエルよ 聞け。われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。    申命記6章4〜5節

 主イエスは律法学者たちに問われて、旧約聖書の中心は冒頭の聖句だとおっしゃいました。この聖句を軸としながら旧約聖書の中心メッセージを学びたいと思います。

1 創造の神

私たちの信じる聖書の神は、この全世界・全宇宙を創造された全知全能の神です。すべてのものは偶然ではなく、このお方によって意図と目的をもって造られました。そして神はこの造られた世界を、私たちを愛し喜んで下さいました。

ところが、聖書はその神に造られた人間が神を神とせず、自分を神として、自分勝手に生きるようになったといいます。その罪のゆえに神が備えてくださった本当の愛と喜びを私たちは失ってしまったのです。

2 選びの神

 神は神に背き堕落してしまった人間を罪から救う救いの計画をもって、それを歴史の中で実行してこられました。神はアブラハムという人物を選んで、祝福の基とするという約束を与え、その生涯を導き、またその子孫であるイスラエル民族を導かれました。選ばれたとは甘やかして、えこひいきしてやろうとするのではなく、神に信頼し神を中心として生活する生き方のすばらしさを周りの人々に示すという特別な使命と特権を与えられたということなのです。決してイスラエル民族が数多く、優れていたからということではありません。神のあわれみによる選びがそこにはありました。

 このことは私たちも同じです。私たちもまた神のあわれみによって選らばれ、神の守りと祝福の約束を与えられているのです。

3 救いの神

アブラハムからおよそ五百年後、イスラエル民族はエジプトで奴隷としてこき使われ、虐げられ、苦しんでいました。しかし、神は彼らの叫びを聞き、モーセを選んでパロ王のもとに遣わし、その力強い御手をもって、その民を救い出されました。そしてその救い出した民に、神の御旨を示すものとして律法を与えられました。けれども、そこで明らかになってきたのは神の御旨に従うことの出来ない自らの姿でした。そこで私たちは神にすがるしかない自らの姿を見出し、約束の救い主を待ち望みます。そして、お約束のとおりに主イエスは来てくださったのです。

(7/31 粟屋信吾修養生