それをここにもってきなさい
(ヨハネ 6:1〜14)
それをここに持ってきなさい。(マタイ14:18)
わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。 (Uコリント12:9)
この聖書の個所は、男だけでも五千人の人々が食事をしたところです。弟子たちにとってはまさに不可能と思われる使命が与えられました。 5節に主は「どこから手に入れて食べさせようか」と言われました。また「あなたがたの手で食物をあげなさい」と言われました。これは不可能な、出来もしない使命でした。無理ですと言わざるを得ない状況でした。私たちは、生きる中で圧倒されるような状況に出会うことがあります。会社、学校、家庭、地域の中で自分の力ではどうにも負えないで圧倒されることがあります。私は何でここの生かせれているのか、私の力が何になるのかと思わされます。一人の弟子が手を挙げて「ここに大麦のパン5つと魚2匹もっている子どもがいます」と知らせました。弟子たちは大きな声で叫んだことでしょう。でも、本当に他には食べ物がなく、まただれも差し出す人がいなかったのでしょうか。「しかしこんなに大勢の人ではなんになりましょう」これぽっちでは役に立たない、との声が聞こえてきそうです。捧げて役に立たないならばしなければよかったと思います。それが現実で、妥当な判断、客観的な事実でした。でも主はそこで、パンと魚とを受け取られて、「それをここに持ってきなさい」と言われました。主は御前に取り出して感謝し、お祈りされてから分けられました。主のもとに持っていくときに、主は感謝して用いて下さいます。主の御手の中で有り得ないこと、奇跡が起こりました。主の御もとに私たちの持っているものを持っていくときに奇跡が起こるのです。神様はそういうお方です。これは単なる励ましではなく、主の御業を見せて頂く御約束であり、事実です。主は私たちの弱いところに働いて御業をなされます。聖書の言葉は間違っていません。御言葉はいつも正しいのです。私たちの足らないところ、アキレス腱に本当にそのようになされ、働いて下さるのです。信じていく時に顕される事実です。神様は私たちの力では不可能な使命を与えられるかもしれませんが、その件に関してはすべての責任をもって御業をなされます。安心しなさい、と語って下さいます。人々は満ち足りて、有り余るほどに奇跡を私たちの人生に行なって下さいます。御業を見させて頂きましょう。
(7/10 錦織 学師)