彼が歩かれたように歩く
(1ヨハネ2:1〜6)
「彼におる」と言う者は、彼が歩かれたように、その人自身も歩くべきである。 (Tヨハネ2章6節)
ヨハネはイエスのように歩くべきだといいました。イエスは「私が歩んだように歩め」と招いてくださっているのです。では彼のように歩くとはどういうことでしょうか。
1 あがない主をあおいで生きる
それは単にイエスの生き方を学び、まねをしようということではありません。大事なことがあります。それはこのお方を私たちの罪のためのあがないとして受け入れるということです。私たちの罪を負ってイエスは十字架で死に、私たちのためにあがないを全うしてくださいました。それでも私たちは失敗することがあるのです。言わないでもいいことを言ってしまったり、やらなくてはいけないことをさぼってしまったり。でもイエスがいてくださる。だから私たちは安心してこのお方に従っていくのです。
2 御言葉に生きる
イエスを知っているならその戒めを守るはずとヨハネは言います。それは御言葉を守ると言うことです。私たちが罪を犯さないで生きるということは聖書の御言葉から離れたら、絶対にありません。まず何よりも御言葉に親しんでください。御言葉の語ることに従ってください。御言葉に従っていると、神さまの愛が分かってくるのです。
3 イエスの生き方にならう
私たちはイエスと年齢も文化背景も、時代も違います。けれども、このお方をあがない主として仰ぎ、御言葉を読んでいると必ず神さまの御旨が分かってきます。そしてイエス・キリストを見つめ、そのイエスにしたがっていくのです。歩くべきという言葉は神に従う一歩を歩むという決断を伴う言葉です。私たちはイエスが歩かれたように歩く生涯を瞬間瞬間選んでいくのです。
イエスが歩まれたように神に信頼して生きようではありませんか。イエスが歩まれたように神を愛し、神に従おうではありませんか。イエスが歩まれたように人に仕え、神に仕えようではありませんか。イエスにつながっているときに、イエスの命が私たちの内に流れてきて、ああ、イエスさまが今の時代に日本におられたらきっとこうだっただろうなあというような歩みをさせてくださるのです。
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