新しいことが起こる
(イザヤ43:14〜21)
見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。 イザヤ43章19節
1.過去の御業
「イスラエルの聖者」と言う言葉には、私たちをはるかに超えたお方、という意味があります。この方は全能の方、どんなことでもおできになる、力のある方、私たちがどんなに行き詰まり、困難を覚えるような時にもこの方は決して途方に暮れたり、行き詰まることはありません。
この方はイスラエルがエジプトで奴隷だったときにイスラエルを救い出してくださった方です。神はイスラエルを憐れんで起こりえないことを起こし、絶対に不可能なことを成し遂げてくださいました。この方は私たちを強め、八方ふさがりでどうすることも出来ないような時にも神はそこに道を造ってくださるのです。
2.新しいこと
確かにあの出エジプトは大きなことだったけれど、もうあのときのことは言うな、思い出すな。これから私があなたのためにしようとしていることは、そんな程度のことではない。やがてそれはおこる。いや起ころうとしている。私は荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。国を失い、バビロンに補囚にされてしまうイスラエルの民がエルサレムに帰ってくるために、何千キロもの道ができる。そしてそのとおりのことがイザヤから二百年後に実現しました。
けれども、実はそれが終わりではありませんでした。イスラエルの民はそのような大きな御業を見てもなおも神に背いていきました。だからこそ、さらに大きなさらに新しい神の御業が必要でした。単に政治的な解放が起こると言うだけではありません。罪に捕らえられてがんじがらめになり、自分で自分をどうすることもできなくなってしまっている私たちを解放するために、神は御子イエスを世に遣わし、私たちが罪ゆるされ、神の子とされる道が開いてくださったのです。
そして四四3にあるように神の霊が私たちの上に注がれました。私たちが神との親しい交わりの中に生きることができるように御霊を注いでくださったのです。このお方に信頼していきましょう。そして、そうそう二千年前にそんなことがあったんだよねというだけではありません。私たちのためにこのような大きな業をなしてくださった主は、今日も私たちの上に御霊を注いで神の大きな御業を見せてくださるのです。
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