神の証人として
     
(イザヤ43:8〜13)

すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた。 イザヤ43章7節

神は私たちがご自身の証人として生きていくことを願っておられます。不思議なことです。神にどうして証人が必要でしょうか。神はご自身でご自身を証しし、ご自身を示されたら良かったと思います。もちろん、神にはそれがおできになるでしょう。けれども、神はそれを願われませんでした。

 神はご自身を私たちに教えるために、イエス・キリストをこの世に送ってくださいました。このイエスを通して、私たちは神を知ったのです。

神はそしてイエスに出会った弟子たちをイエスの証人として立てられました。そして弟子たちはイエスを証しし、クリスチャンの群れが生まれました。そしてそのクリスチャンの群れはまたイエスを証ししていきました。彼らはイエスとこの地上で会ってはいなかったでしょう。けれども、目には見えなくても確かにイエスは今も働いて彼らの生涯を変えてくださったことを証ししたのです。そして私たちも神さまを紹介され信じる者となったのです。そして神は私たちをも神の証人、神の栄光を表す者としてくださるのです。

それでは私たちは何を証言するのでしょうか。ここには三つのことがあります。

@神はこの方しかいない・・・十戒の第一戒です。神はお一人だ。神としてあがめられ、拝むべきなのはこの方だけなのです。神にもいろいろおられてその中の一人をまつっているというようなことではありません。そもそも神はお一人なのです。神は他にはいません。

A救いをもたらすのはこの方しかいない・・・この方だけが私たちに救いをもたらすことがおできになります。この方だけが私たちを罪から救ってくださるのです。

B神は全能の方であってその御業を妨げるものはない・・・このお方が業をなさるときにはだれもとどめることはできません。神はすべてのことがおできになるのです。

これらをすべてまとめた言葉がこれです。「ただ私のみ主である」(11)。これが証言の中心です。

 私たちはこのようなお方の証人なのです。このために私たちは造られ、救われ、ここまで導かれてきたのです。「あなたがたはわが証人、私が選んだわがしもべなのだ」と神は今日も語ってくださるのです。

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