共におられる神
(イザヤ43:1〜7)
あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる。川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、炎もあなたに燃えつくことがない。 (イザヤ43:2 )
神様は私たちと共にいてくださいます。逆境のただ中、すさまじい困難の中にあっても、主は共にいてくださるのです。これは聖書にあるすばらしい救いのメッセージです。
1.共にいられなかったイスラエル
神が共にいてくださるということはまさにイスラエルに与えられたすばらしい特権でした。けれども、そのイスラエルも自ら主に背を向け、主から離れていったのでした。イザヤの時代から百数十年後にエルサレムが陥落していく・・・それもまさに主の前に歩むべきイスラエルが様々な逆境の中にあって神から離れていったからでした。
私たちはどうでしょうか。私たちも案外、いざとなると、神様さえも見捨ててしまう。それがイスラエルの現実であり、また私たちの悲しい現実ではないでしょうか。
2.共にいてくださる主
@共にいてくださる けれども主はそんな私たちにも声をかけ、共にいたいと願っておられます。イザヤ書の四十章以降は慰めと言うことがそのテーマなのですが、そこでも神は「私は共にいる」と声をかけつづけてくださいます。私たちは様々な困難の中で、神を意識し、ああ神がいてくださる・・と実感する時、また全然そんな感覚のないときもあるでしょう。神は目には見えないおかたです。けれども神はこのような罪深く、知恵のない私たちとともなっていてくださるのです。
A救ってくださる ただ信仰は気休めではありません。神は、ただ、私たちと共にいてくださるだけではないのです。私たちがどんな状況の中にあっても、主は共にいて私たちを救ってくださるのです。神は実に具体的に、どんな困難の中におかれるときにも、私たちを救うことがおできになります。それは困難がなくなるわけではないかもしれません。水の中をすぎているように感じること、火の中に立たされているように感じることもあるでしょう。救いとは必ずしも問題がなくなることではありません。問題のなかにあっても力強い歩みができるように主は助けてくださるのです。わたしが一緒にいる、と語ってくださる主を見上げつつ歩ませていただきましょう。
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