イエスの死なれた理由
(イザヤ53:5) 古谷 晃師
しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。 (イザヤ53:5 )
2004年度大島泉の家の利用者が、増えてきて財政も黒字になり祝されました。キャンプ参加者の1/4は牧師家庭からで、ますますキャンプの役割が高まっています。
教会では、重い刑罰の道具である十字架が、なぜシンボルとして使われ、主の十字架での死が、国と全世界の救いとなるのでしょうか。
当時、ラザロの奇跡により多くの人々が主を信じて、従う人が増えました。時の宗教指導者たちは人々がイエスを王に祭り上げてクーデターにでもなったら大変だと、相談をしました。国家的な危機、問題です。彼らは大祭司カヤパの助言で主を十字架にかけて殺すことに決めました。そうすれば、国家、人民を救うことになるからです。国、人を救うことができた。神の目からご覧になると、一人の人の死がそれほど大きく、主はそれほど大切な人であり、国を左右する力のあるお方だったのです。これは神は、ただユダヤの国を救うためではなく、全世界の人々の命を救うために、主の十字架の死を受け止めて下さった、というメッセージ、主の死によって、私たちは救われることが出来るというメッセージなのです。
ヨハネ伝10章をみると、主はすべての人に豊かな命を得させるために死なれると書いてあります。私たちに与えられる命とはどのような命でしょうか。神様を知ることによって、神様に繋がることができます。神様から離れて死んでいる、何のために生きているのか分からず右往左往している人間に、神様は主イエス様を遣わして下さったのです。
神に立ち返るとき、私たちは新しい命を与えられて、永遠の命に生きることができます。役割を与えられていることを知ることができます。
私たちがいきいきと生きるために豊かな生命を、与えて下さるのです。
私は生きるようにされて、神の子とされて生まれ変わらせて下さった。人生の目的をもって生きる、何も出来ない中で私にしか出来ないことをさせて下さるためにです。
人生は死で終わりではなく、死のかなたに生命があります。約束を実現して下さる、忠実に果して下さるお方に力を頂き、生かされるものとなりましょう。
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