恐れなくていい
(イザヤ43:1)
恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。 (1)
1.私たちの内にある恐れ
私たちは「恐れるな」と語られなければならない存在です。つまり私たちはそれだけ、恐れに囲まれているのです。私たちはなぜ恐れるのでしょうか。
@罪とその裁き 私たちの恐れの根っこのところに、自分の生き方はどこかずれているという漠然とした気づきがあります。このまま進んでいってはいけないという思いです。
A孤独感 もう一つの恐れは孤独感です。私はひとりぼっちだと言う感覚です。
B所属感・アイデンティティの喪失 もうひとつの恐れは自分のアイデンティティーを失ってしまう恐れです。
イスラエルはまさにそのような危機の中にありました。彼らは自分たちが神に背き続けた故に神に裁かれ国を失おうとしていた。多くの仲間と死に別れ、生き別れと言うこともあったでしょう。神に選ばれ、愛された者としてのアイデンティティーも失おうとしていたのです。
2.なぜ恐れなくていいのか
@神はあがなってくださったから
聖書はこういいます。私たちはみんな罪を犯して、神さまの裁きの下に置かれている。けれども罪のないお方が、イエスが私たちの罪を身代わりに負ってくださった。全部の負債がきっちり支払われた。すでに私たちはあがなわれたのです。
A神は名を呼んでいてくださるから
私たちは孤独ではない。私たちのことを愛して、私たちのことを知っていて、私の名を今も呼んでくださる方がいらっしゃる。
B神は私たちを「わたしのもの」と言ってくださるから
神は私たちを捨てないとおっしゃいます。捨てないどころではない。わたしのものだとおっしゃる。ここのあたりが大切なことなのです。私のアイデンティティーというのは実は私自身の内にあるのではない。「あなたは『わたしのもの』」と言ってくださるお方によって私のアイデンティティーは決まってくるのだ。私たちは恐れなくていい。私たちは年を重ね、いろいろなことができなくなるかもしれない。調子のいいとき、悪いとき、いろいろあるかもしれません。けれども「あなたはわたしのもの」と言ってくださるお方様は変わらないのです。
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