その後の放蕩息子
(Tテモテ12:12〜17)
しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。(16)
弟息子は次の日からどのような生き方をしたでしょうか。お父さんを悲しませ、傷つけてしまった自分がゆるされ、受け入れられているという喜びに突き動かされて、他の誰よりも早起きして、誰よりも汗を流して働いたに違いありません。ただルカの15章の記事には放蕩息子のその後のことは何も書かれていません。そこでパウロの実例を見ながらそのことを学びたいと思うのです。
T 救われた罪人のかしら
パウロは自分のことを罪人の頭だと言いました。パウロがイエスさまが大嫌いだったときに、そんなパウロのことをなお愛していてくださるお方がいらっしゃった。とんでもない罪人、赦されるはずのない罪人のかしら・・・パウロはそれは私だと言ったのです。そうかパウロが罪人の頭だったのかというのではない。そうだ私こそ罪人の頭なのだと受け止めることのできる人は幸いです。そんなわたしを愛し、あわれみ、救ってくださる主がおられるからです。
U 努めを与えられた罪人の頭
神さまは私たちを愛して、救って、そして、でもあなたのことは信用できないから、そこで何もしないでぶらぶらしてというのではありません。私たちを信頼し、信用し、忠実な者と見て、大切なご用を託してくださる。私のことを信頼していてくださる神さまがおられる。パウロの場合には福音を伝えるという任を与えられていました。形は違うかもしれない。けれども私たち一人一人がそれぞれの持ち場立場の中で証人として生きていくことを主は求めておられるのです。期待しておられるのです。
V 恵みによって生きる罪人の頭
でも、私たちは罪人の頭としてのキャリアの方が長いですから、ふっと不安になります。また失敗したり、神さまを悲しませてしまうこともあるかもしれない。けれども信仰もって歩む中で、神さまの恵みがますますまし加わってくる。自分はがんばれないかもしれない。でも神さまはそんなことご存じです。私の恵みによって支えるから安心して従いなさい、私が支え、私があなたを強くし、あなたに力を与えるから、神さまは私たちに語っていてくださるのです。
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